KinKi Kids、“約束”果たす夏がやってくるーーアイドルとしてのアイデンティティ確立した20年

 「20年後、またここで会おう」その最終回の約束どおり、ドラマ『ぼくらの勇気~未満都市』(日本テレビ系)が、この夏スペシャルドラマになって帰ってくる。主演を務めるKinKi Kidsは、18歳から38歳に。当時、大人たちに立ち向かった少年たちが、大人になった今、何を見せてくれるのだろうか。

 感慨深いのは、演出・堤幸彦、プロデューサー・櫨山裕子と、20年前と同じ制作スタッフが集結していること。20年は、境遇も考え方も大きく変えるのに十分な月日だ。なかには、芸能界から新たな道へと進んだキャストも。そんななかで、KinKi Kidsが第一線で活躍を続けているという事実に、ただただ敬服するばかりだ。

 KinKi Kidsの歩みは、多くのスターを生み出したジャニーズ事務所のなかでも、別格のエリートである。1991年にジャニーズ事務所に入ったふたり。翌年には雑誌で特集され、その年末には『NHK紅白歌合戦』(NHK総合)でSMAPのバックダンサーとして出演を果たす。1994年には日本武道館でファーストコンサート、1996年にはすでにレギュラー番組が5本になる人気者だった。1997年デビューシングル『硝子の少年』は、いきなりのミリオンセラー。以来、シングルは全てオリコン初登場1位を記録しており、2016年に発売した『道は手ずから夢の花』で37作連続で初登場1位を獲得。ギネス記録を更新中だ。

 華々しいデビューを飾ったKinKi Kids。だが、自己を確立するより先に、アイドルとして世間に浸透していった彼らならではの苦悩もあったのではないだろうか。そんなふたりにとって、1996年にスタートした『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ系)では、吉田拓郎にギターを教わり、自己表現のきっかけを掴んでいるように見えた。吉田拓郎は番組スタート当初のKinKi Kidsについて「「彼等でないとあり得ない」爽やかな情熱で番組に音楽に僕に接してきた」「僕は2人の若者に心を開いた瞬間を覚えている」(出展:http://153-0051.com/log_takuro/)と自身のブログに綴っている。

 KinKi Kidsのふたりは、アイドルに必要な“人に愛される力”は、天性の素養として持っていた。その上で、人としてどう成長していくのか。そのさまを番組を通じて共演者、スタッフ、そしてファンたちは見守ってきたように思う。そして、ふたりは手にした音楽の力で、それぞれのアイデンティティを確立していく。

 もともとミュージカルへの憧れを抱いていた堂本光一は、2000年に21歳で帝国劇場最年少座長に就く。自身で主演・脚本・演出・音楽まで手がける『SHOCK』シリーズを18年連続で上演。ミュージカルのテーマである“Show Must Go On(何があってもショーは続けなければならない)”を地でいく光一。常人離れしたストイックな姿勢は、光一が演じる狂気的なキャラクターと重なって見える。かつて、アイドルはプロデュースされるものだったが、光一はいち早くセルフプロデュースをするアイドルとしての道を開拓してきた。

 一方、芸能人の前にひとりの人間として生活をしていきたい、という考えを持っていた堂本剛は、溢れ出る感情をファッションや音楽で形にしていく。求められる“芸能人な自分”から、徐々に“個人としての自分”を解放していく姿は、触れたら壊れてしまいそうなほど繊細で、まさに硝子の少年だった。ホームである故郷・奈良を愛し、リアルとの葛藤を持つ剛が、ブラックミュージックを好み、ファンクで自己体現をしていくのは、自然の流れだったのかもしれない。2002年、自身が作詞・作曲・プロデュースした『街/溺愛ロジック』でソロデビューを果たす。ジャニーズ事務所としても前例のないことだった。

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