西寺郷太と和田唱が『Tug Of War』『Pipes Of Peace』を語り尽くす
西寺郷太×和田 唱が語る、80年代のポール・マッカートニー「天才で多作で、たまにしょうもない曲もある(笑)」
『Tug Of War』『Pipes Of Peace』──。ポール・マッカートニーが1980年代初期に発表した2作(それぞれ82年、83年作)が、未発表音源を多数加え、最新リマスターを施した〈Archive Collection〉シリーズとして先ごろリリースされた。当初、2枚組としてリリースされることも考えられていたこの2作は、いわゆる“対”になる作品でもあり、日本公演直前での逮捕劇、ジョン・レノンの死、ウイングスの実質的な解散などのニュースが駆け抜けたあと、さまざまな憶測も含む注目が、ポール・マッカートニーというアーティストに集まっていた時期に制作された作品でもある。プロデュースは、共に“5人目のビートルズ”とも呼ばれたジョージ・マーティン。スティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソンというカラーラインを越えたスターとの共作曲もトピックとなったこの2作を囲み、マイケル・ジャクソンだけでなく“ポール・マッカートニー好き”としての絆も深い2人──ノーナ・リーヴスの西寺郷太と、トライセラトップスの和田 唱に、大いに語ってもらった。
「80年代のポールはブラック・ミュージックに接近することも多かった」(西寺)
──お二人にとっては、このアルバムあたりがリアルタイムで最初に聴いたポールのソロ作品ということになりますかね?
西寺郷太(以下、西寺):そうですね、僕は『Pipes Of Peace』ですけど、和田ちゃんは『Flowers In The Dirt』(89年)あたりじゃない?
和田 唱(以下、和田):そうだね。郷太くんは俺より2つ年が上だけど、それにも増して早熟だったじゃない?
西寺:そうね。小6のときにはビートルズの全部のアルバム聴いてたし、感覚的には4コぐらい上なのかな。でも、俺は京都で、和田ちゃんは東京だから、ライブを観に行けていたという点では俺より早熟だったよね。
和田:そこは自慢できるところかもね(笑)。
西寺:それにしても80年代のポールって、ある種の充実期で。ブラック・ミュージックに接近することも多かったし、この2枚ではスティーヴィーやマイケル・ジャクソンとも共演している。当時の自分からはすごくおじさんに見えたんだけど。
和田:わかるよ(笑)
西寺:あの頃のポール、ちょうど今の俺ぐらいの歳なんでイヤになる(笑)。『Tug Of War』リリース時、ポールは40歳で、制作していた頃はまだ30代でしょ。
和田:ちょうど今の俺ぐらいだもん。
西寺:(『Pipes Of Peace』のスーパー・デラックス・エディションに封入されているフォトブックを指差しながら)これ、わかる?
和田:マイケルが着てるスタジャンでしょ。これ、ポールの幻の日本公演(入国時に大麻取締法違反で逮捕され、中止になった)のときの物販商品なんだよね。背中に〈JAPAN TOUR 1980〉って書いてある。
西寺:この写真ね、大好きなのよ。売れずにあまった物販を着てるマイケル(笑)。〈KING OF POP〉と呼ばれた『Bad』の頃だったら、絶対あり得ない格好だよね。
ポールは、1980年1月の来日が不祥事で中止。そういう場合、今みたいに完璧な保険とかなかったんじゃない? スタッフへの支払いとかどうしたんだろうね。多分、ポールも大変だったんじゃないかな。