柴咲コウ&川口春奈、トップ俳優コンビは芸能界の闇をどう演じ切るのか?『スキャンダルイブ』1話
「スパイト行動」なる概念を知っているだろうか。自身が損をしてでも、他者の利益を阻止したい、という心理的傾向から生じる行動のことである。
現代社会はまさに、スパイト行動の巣窟だ。しかも、たとえ自身の利益とは一切関わらない場所で、己の時間を費やしてでも、他者の尊厳を傷つけ、その立ち位置から引きずりたいと願う者すらいるくらいには、である。たとえば、芸能人の不倫スキャンダルとか。
11月19日に放送開始したドラマ『スキャンダルイブ』は、こうした問題に一石を投じてくれる作品となることだろう。主人公は、個人で芸能事務所を立ち上げた社長=井岡咲(柴咲コウ)。看板俳優の藤原玖生(浅香航大)を連れて、大手芸能事務所であるKODAMAプロダクションから独立。4年間の歳月を捧げた末、藤原がドラマ『追憶の証明』にて、悲願の地上波復帰を果たすまで導いた人物である。
『追憶の証明』放送開始までもう間もなくーーその矢先、咲のもとに飛び込んできたのは、藤原の不倫スキャンダルだった。
同情報が、数日後に発売される『週刊文潮』に掲載されるとのこと。この事前告知をしたのが、同誌で記者を務める平田奏(川口春奈)。衝撃の一報から翌日、咲が奏に殴り込みを掛けにいくと、聞かされたのは藤原がまだKODAMAプロダクション所属当時の5年前、横浜のバーで過ごした女性と一夜をともにしたというリーク情報。彼自身、その1年前に元アイドルで、現在はベビー用品を手掛ける妻=未礼(前田敦子)と結婚をしているため、リーク通りだとすれば、明らかな不倫である。奏曰く、リーク元は明かせないまでも、彼女の手にある藤原と、裸姿の女性のベッド写真を見れば、証拠は明らかだった。
咲はすぐさま、事務所に戻って対策を練ることに。顧問弁護士を務める戸崎勉(鈴木浩介)とともに自白を促すも、藤原はなかなか口を割らず。ようやく応じたと思えば、弁明したのは身の潔白。当時は泥酔しており、相手女性とホテルに入室するも、一線を超えないまま朝を迎えていたという。もちろん、ホテルに一定時間の滞在をした時点で、疑われて当然。この場面で、事実はまったく重要ではない。「世間は違う」「記事を信じたら、それが真実になる」とは、咲の言葉である。
前述した奏への殴り込みの際、彼女の週刊誌報道には「社会的意義がある」という言葉に対して、「記事が売れるから」と強く反論していたはずの咲。週刊誌をいま、最も恨む立場でありながら、そこに載る言葉の強さを信じるーーまさに核心を突くような発言が、あまりにも逆説的で皮肉すぎる。
戸崎によると、記事の差し止めはほぼ不可能。なぜなら芸能人の場合、プライバシーの優先よりも、報道する公益性の高さが優先されるから。主演ドラマ降板はもちろん、広告クライアントからの億単位での賠償金請求も避けられないとのことだ。
咲は再び、奏に直談判。持参した200万円の札束を賄賂として暗にもみ消しを請うも、あえなく失敗。藤原の人生、そして彼の家族を傷つけることから「こんな記事になんの意味があるんですか?」と訴えるが、奏から返ってきたのは「ではなぜ、こんなにも雑誌が売れるんだと思いますか?」「当然の報いだからですよ」という言葉。芸能人の仕事は、イメージを売ること。そこには、私生活も含まれる。普段ですらイメージという特権で私腹を肥やしているはずなのに、もし裏でそれを振りかざして汚い所業をしていたとしたらーーその代償を支払うべき。そうした欺瞞を暴くために、週刊誌は存在していると語る。
奏との折衷に折り合いがつかず、咲が次の一手に講じたのが、週刊誌報道の無力化。雑誌の発売日に先駆けて、藤原本人が緊急謝罪会見を開催。妻の未礼もその場に登壇させ、件の不倫がすでに夫婦間で解決した問題だとアピールするというものだ。自らの意志で夫婦関係の再構築を選んだ女性というイメージは、彼女が手掛けるベビー用品のブランド失墜にも一助を差し伸べるはず。またしても、イメージという曖昧な概念が付き纏ってくる。
未礼の覚悟は、相当だったのだろう。会見中、奏が会場に乗り込み、藤原に厳しい質問をぶつけた際にも「なぜ、世間が納得する必要があるのでしょうか?」「どうか、静かに見守っていただけないでしょうか」と、時にマイクを通さず熱弁。当初の目標を達成する形で、見事に会見を乗り切ってみせた。
会見後、咲の前にはまたしても奏の姿が。藤原は会見中、件の不倫以外で社会倫理に反する行動をしていないと主張……していたはずだが、それではもし、相手女性が当時まだ、19歳だったとしたら? もし、未成年飲酒を笑顔で促していたとしたら?
スキャンダルを生業とする者は、手の内を相手には簡単に明かさない。二の矢、三の矢を常に準備しておくものである。基本中の基本だ。記事になったのは、藤原の未成年飲酒の勧誘報道。不倫スキャンダルはもはや、スケープゴートでしかなくなってしまった。咲の眼前に、もう何度目かの暗闇が飛び込んでくる。
芸能人のイメージ、世間の納得ーーこの作品はとにかく、曖昧なキーワードを軸に成り立っており、どこに正解があるのかまったく掴めない。いや、そもそも正解なんて存在しておらず、自分たちが信じるものを信じ、作り出していくしかないのかもしれない。まるで、奏や『週刊文潮』がそうしているかのように(と書きつつ、いまの時点だと藤原の件は真実以外の何物でもなさそうだが)。
たったひとつ確かなことがあるとするのならば、我々の実生活でもそうであるかのように、自身が損をしてでも、他者の尊厳を傷つけ、その立ち位置から引きずりたいという心理が、世間という枠組みのなかで機能してしまっていること。ファンはさておき、SNSやニュースサイトなどのコメント欄に常駐する“世間”はなぜ、自身にまったく不利益をもたらさないはずの芸能人の不祥事や色恋沙汰に、そこまで固執するのだろうか。咲にとって、本当の脅威は奏でも、前職社長であり強敵の児玉蓉子(鈴木保奈美)でもなく、世間という曖昧なものなのかもしれない。