SASUKEからの改名、そして「人マニア」のヒットーー原口沙輔が語る“ボカロカルチャーとキャリアの転機”

原口沙輔が語る“ボカロと自身の転機”

 Billboard JAPANの「ニコニコ VOCALOID SONGS TOP20」で18週連続1位を獲得するなど、昨年から今年にかけて大きなセンセーションを巻き起こした「人マニア」は、原口沙輔が『The VOCALOID Collection(以下、ボカコレ) 〜2023 Summer〜』への参加曲として投稿した、自身初のVOCALOID楽曲だ。

 原口沙輔は2018年にSASUKEとして15歳でメジャーデビューし、シンガーソングライター/トラックメーカーとして活躍したのち、2021年1月よりフリーランスで活動。2023年5月9日にリリースした1stアルバム『アセトン』より原口沙輔の名義で楽曲を発表している。

 今回は2月22日~25日にかけて開催される『The VOCALOID Collection ~2024 Winter~』を前に、原口沙輔にインタビューする機会を得ることができた。稀有なキャリアを経てきた彼に、「人マニア」について、自身のこれまでについて、そしてボカロシーンについて語ってもらった。(柴 那典)

自身初のボカロ曲「人マニア」に施した音楽的仕掛け

――まずは「人マニア」について聞かせてください。あの曲が巻き起こした現象や反響についてはどんな風に受け止めていますか?

原口沙輔(以下、原口):途中まではだいたい自分が狙っていた感じではありましたけど、年末から年明けにかけて予想の範疇を超えてきた感じはします。ただ、そもそも曲のテーマ的なところで“ミーム汚染”みたいなことをやりたいというのはずっとあったので、わりと「しめしめ」な感じではあるんですよね。

人マニア - 重音テト

――狙っていたことというのは?

原口:シンプルに、僕はいままで、人に聴いてもらえたり、人が気になったり、人が何か創作をしたくなったりするための要素みたいなものについて、ずっと考えてきたので。それを自分の曲で使うことはあまりなかったんですけど、そういうものが溜まっていたので、その要素を1曲の中でできるだけ使ってみよう、入れられるだけ入れてみようというのがありました。

――その要素はたとえばどういうものがあるんでしょうか。

原口:たとえばブラウザクラッシャー的な要素とか。ああいうものを入れることによって反応する人が何人ぐらいいて、別の要素にも反応してくれそうな人が何人かはいて、という考え方ですね。

――「人マニア」は「歌ってみた」などの二次創作がかなり広まっていきましたが、そのあたりについてはどうですか?

原口:僕は前名義のときには二次創作を作られるような音楽をやっていなかったので、いまこうやって広がっているのはめちゃくちゃ嬉しいですし、実際にかなりの数をチェックしてます。そもそも二次創作をやってくれたらいいなと思って作ってたんですよ。自分のMADとか「歌ってみた」とかを見たくて。もともと二次創作系で知ってた活動者の方がやってくれていたのもすごく嬉しかったです。詳しくは言わないですけど、あえて二次創作をしたくなる要素も入れてましたから。

――「人マニア」が原口さんにとっての最初のボカロ曲になるわけですが、そもそもボカロ曲を作ろうというきっかけは、どういうところにあったんですか?

原口:実はタイミングがなかっただけなんですよ。ずっと作ろうとしてましたし、なんならデビュー前の小学生の時からずっとボカロ曲をインターネットで掘ったりして聴いていたので。いつか作れたらいいな、作るとしたらこんな感じかなとかも、考えていて。でも、そうこうしているうちに忙しくなって、時間がなくなってきたので。なので『ボカコレ』がタイミング的にちょうどよかったんですよね。

――原口さんは『ボカコレ』に対してどういった印象をもっていましたか?

原口:『ボカコレ』が始まって、こんなにシーンが盛り上がるんだと驚きました。ある部分では最初に盛り上がった時以上に波が来ている。しかもいい盛り上がり方だと思うんですよね。みんなが個人的な趣味を追求して、やりたい方向性をやっているし、そういうことをやっていい空気感ができているのがいいなと思って。僕も初回からチェックしていましたし、機会があれば出たいなと思っていて、周りにも言っていました。

――小学生のころからボカロ曲を聴いていたということですが、遡って、ボカロカルチャーとの出会いはどんな感じだったんでしょうか?

原口:僕は実はニコニコ動画ではなくて、SoundCloudから入ったんですよ。SoundCloudがめちゃくちゃ好きで、ずっと入り浸っているような小学生だったので。そこにはkzさんをはじめとした、トラックメーカー兼ボカロPのような方もたくさんいました。最初はボカロと思わずに聴いていた覚えはありますが、徐々に記事やテレビで見かけて「これはボカロって言うんだ、初音ミクって言うんだ」と知っていったんです。

――好きだったボカロPは?

原口:特に影響を受けているのはきくおさんとlumoさんのお二人ですね。ほかにはじんさんも聴いてましたし、パトリチェフさんも好きだったりします。

――きくおさんとlumoさんについては、どういった部分に影響を受けたのでしょう。

原口:lumoさんはサウンド面ですね。コラージュ的なところとか、カットアップ的な手法みたいなところが多いので。きくおさんは、どちらかと言うと向き合い方というか。ストレートなボカロではないし、サウンド的にも歌詞としても、ある種過激と言えば過激で。もともとポップなものが上手に作れる方ではあるんですけれど、ポップじゃない方向に振り切ってもこれだけ熱狂的なファンがついている。そういうところにはすごく勇気をもらいましたし、そこでわりと吹っ切れることができたというのはありますね。

――15歳でSASUKEとしてメジャーデビューした時期の自分は、改めて現在の自分からどういう風に見えますか?

原口:ある種“デビュー前”みたいな感じにもかかわらず、いろいろなことが重なって早くからやらせてもらえた時期、ですかね。様々な経験をさせてもらえた貴重な時間だったのかなと思います。

――メジャーレーベルでのアーティスト活動や作家としての楽曲提供を経て、得たものやプラスになっていることは?

原口:ずっと修行みたいな感じだったんで。一通り音楽に関係するいろんなお仕事もさせてもらって。番組のBGMだったり、ジングルだったり、テレビCMだったり、それぞれの作り方も自分の中でできている状態になった。その方法を選びながら自分の制作に活かしたり、やることを決めたりできるというのは、自分にとってはかなり大きい経験値や引き出しにはなってますね。

「作ること自体をやめよう」という決心。そこから“作品を主体”にするための改名へ

――前にリアルサウンドでインタビューに登場いただいたのが2022年で、そのときはまだSASUKEという名義で活動されていました。本名の原口沙輔に変えるとなったのはどういうきっかけだったんでしょうか?

原口:ちょうど2021年から2022年くらいのころが、フリーランスになって考える余裕ができたこともあって、自分のことについて一番考える時期だったんです。で、端的に言うと、音楽のお仕事自体というか、自分が作ること自体をやめようと思ってたんですよ。ただ、音楽以外は得意なこともないので、音楽を活かした仕事とか、どこかに就職するみたいな形で、音楽関連の何かをしようかなと思ってたんです。結果、そんなことにはならずにここにいるんですけど、そういう考えになっていた時期が一旦あって。

――そうだったんですね。

原口:あんまりやりたいことがなくなったというか。ここ数年、いろいろあったじゃないですか。そのなかで、自分が今後やっていきたいと思っていたこと、できると思っていたことが、いくつか閉ざされたところがあって。あんまり目的がなくなってしまっていたところだったんですよ。その時は落ちきっていたころなので、もうちょっと気持ち的に冷静に考えるようになってから、もし自分に何かやりたいことが残っていたら、それを無理せずやるような活動だったらやろうかなと思っていて。それで最初は別名義みたいな風に考えてたんです。自分とは別の名前をいくつか候補に用意して、自分があくまで中の人みたいな状態で、裏でいろいろやってるという。

――ということは、元々は記号的な名前になる予定だった?

原口:そうなんです。自分が前に出て話したり、顔を出してお仕事するというよりは、作品だけが冷たくあるっていう感じをイメージしてたんですけど。ただ、その名前にしちゃうと、その名前自体にまたブランドがついてしまったときに嫌だなと思って。いろいろ考えた結果、逆に本名にしよう、という結論になりました。逆に本名であるから作品があくまで主体であって、プロジェクトみたいにもならないし。僕が有名人とか芸能人みたいな態度を取るわけでもなく、あくまでその作品を生み出し続けるというか。僕は音楽が一番やりたいことなので、ある種のアートの展示のようなことを音楽でやっているという感じにしたらいいんじゃないかなっていうのがあって。それで本名になったって感じですね。一生背負うものでもあるので。

――18歳のころにはABEMAの恋愛番組『彼とオオカミちゃんには騙されない』に出演しました。これは原口さんにとってどういう経験でしたか。

原口:そのころは、それこそ本当に自分が何したいかよくわかってなくて。完全に落ちきっていた時期でした。自分を殴るじゃないですけど、自分にビンタするみたいな、そういう行為として恋愛番組に出たようなところがありました。なんならそこで嫌な奴みたいな役になってもいいんじゃないかなと思っていて。結果みんないい人だったし、いい感じに終わったんですけど。その中でもやっぱり価値観が変わることはあって、自分の名前を変える決心につながったというのはあります。自分から出て行ったり、自分が顔を出してそれを売っていく、みたいなことはやらなくていいという決心ができたところがありました。

――原口沙輔としての1stアルバム『アセトン』を作っているころに、ボカロ曲を作ろうという意識や意図はあったりしたんでしょうか?

原口:ありました。とにかくアルバムを出してみて、その1枚で満足したらその1枚でもいいし、みたいな気持ちで。それとは別でボカロも出したかったので。とりあえずアルバム1枚とボカロ1曲は出そうかなぐらいの、おおよその気持ちで昨年の初めは動いてました。

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