連載:エンタメトップランナーの楽屋(第八回)
媒体や時代を問わず“面白さ”を追求する方法 FIREBUG 佐藤詳悟×放送作家 高須光聖対談
お笑い芸人や俳優、モデル、アーティスト、経営者、クリエーターなど「おもしろい人=タレント」の才能を拡張させる“タレントエンパワーメントパートナー“FIREBUGの代表取締役プロデューサーの佐藤詳悟による連載『エンタメトップランナーの楽屋』。
第八回は、ダウンタウンの二人と幼少期から親交がある放送作家の高須光聖氏をゲストに迎える。かつては『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)を担当し、現在は『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)や『水曜日のダウンタウン』(TBS)といったバラエティ番組を担当している。
お笑い芸人の活動の場は、テレビや劇場だけでなくインターネット上にも広がり、バラエティ番組はYouTubeや動画配信サービスなどの成長で、テレビだけのものではなくなった。また、バラエティ番組のあり方や表現方法も、時代と共に変化してきた。
そんな現状と未来を、テレビバラエティの最前線を走り続けてきた視点からどう見ているのか。歴史を振り返りながら、二人に語ってもらった。
コンプラや金銭的な制限なし 『ごっつ』『ガキの使い』は夢のような場
佐藤詳悟(以下、佐藤):高須さんとダウンタウンのお二人といえば、幼いころから続く深い関係があり、三人で切磋琢磨して面白いものを作られてきたと思います。
僕は面白い人たちが育ってきた経緯に興味があるのですが、振り返って考えてみたときになにか、「面白い」ことを作っていくきっかけとなった状況や要因はあったと思いますか?
高須光聖(以下、高須):本当に運でしかなかったと思いますよ。小学生のころはずっと三人バラバラのクラスで、僕はたまたま松本とも浜田とも遊んでいましたけど、松本と浜田には接点がありませんでしたから。
佐藤:そうなんですね。では、三人で接点を持つようになったのはいつなんですか?
高須:中学2年生のときに初めて三人が同じクラスになったんですよ。そのときに、本当に異常なほど仲良くなった。三人で話しているのは他愛ないことだったとしても、いつも腹から笑えました。そういう感覚をそれぞれがパッと感じ取れたところはありますね。
佐藤:三人のうち一人でも欠けたら、また違う人生でしたよね。中学2年生での三人の出会いが最初のターニングポイントだとして、次のターニングポイントはどんな出来事ですか?
高須:『ごっつ』と『ガキの使い』のスタートですね。それまで僕は放送作家として関西の番組しか担当したことがありませんでしたし、小さな番組がほとんどで、初めて東京で担当したレギュラー番組が『ガキの使い』だったんですよ。立ち上げから担当させてもらえた上に、初めて「自由に作っていい」と言われました。
佐藤:「自由に作っていい」というのはすごいですね。
高須:『ごっつ』に関しては、当時のフジテレビは本当にいま以上にすごい存在だったので、局の建物に入るだけでも緊張しましたし、フジでゴールデン番組を担当するなんて人生で一度でも経験できたらいいと思えるくらいのことでした。
当時はコンプライアンスや金銭的な制限について考えることもなくて、ただ面白いと思うことだけを考えて会議に持ち寄っていました。僕らが純粋に面白いと思うからやってみたい。そんな欲求を、お金をかけて実現できた。そんな夢のような場を与えてもらえたのが『ごっつ』と『ガキの使い』だったんです。
佐藤:しかも当時のテレビといったら、存在感は相当なものですよね。
高須:相当どころか、日本最大の娯楽だったと思います。テレビのなかに全てがありましたから。だから、自分が考えたものがテレビで放送されることの快感は本当にすごかった。
いまみたいにYouTubeもNetflixもなく、スマホもなく、みんながテレビにばかり夢中になっていた。誰しも日々の会話はテレビのことが中心で、そんななかで自由にバラエティ番組を作れたわけで。いまとなっては、不思議な時代だったな、あんな時代がよくあったもんだなと思いますよ。