男性アイドルは「ファミリー売り」がヒットの要因? FIREBUG 佐藤詳悟×つばさ男子プロダクション チーフマネージャー堀切裕真対談

FIREBUG佐藤×つば男子チーフマネージャー堀切対談

 お笑い芸人や俳優、モデル、アーティスト、経営者、クリエーターなど「おもしろい人=タレント」の才能を拡張させる“タレントエンパワーメントパートナー“FIREBUGの代表取締役プロデューサーの佐藤詳悟による連載『エンタメトップランナーの楽屋』。

 第七回は、デビュー曲「チグハグ」が話題を呼んだTHE SUPER FRUITをはじめ、CUBERSや世が世なら!!!といったボーイズグループを手がけるつばさ男子プロダクションのチーフマネージャーである堀切裕真氏をゲストに迎える。

 ソーシャルメディアの登場によって、アイドル自身のセルフ・プロデュース力も求められるようになるなかで、プロデューサーが果たすべき役割とは。いつの時代にも変わらない、ヒットコンテンツの本質とは。新たな才能を見いだし、プロデュースすることの難しさと醍醐味を、二人に語ってもらった。

アーティスト志望だったのに、アイドルを育てるようになったワケ

佐藤:つばさレコーズさん(以下、つばさ)って、めっちゃ人材を輩出してるじゃないですか。マテリアルの東義和さんとか、TWIN PLANETの矢嶋健二さん、それこそWACKの渡辺淳之介さんとか。なにか理由があるんですかね?

堀切:ウチは基本的に、超自由なんですよ。ある程度決められた予算のなかで、自分の決めた目標を達成できればそれでOKみたいな。もちろん最初からそうだったわけじゃなくて、昔はつばさの創業者でもあり現会長の吉永(達世)が、全部の所属アーティストのプロデュースを仕切っていたんです。そのやり方を変えるきっかけをつくったのは、やっぱり淳之介さんだと思います。淳之介さんって、つばさの中野支社に”追いやられてる”時期があったんです。

堀切裕真

佐藤:えええ、そうなんだ!

堀切:でも、ちょうどそのころは、淳之介さんがイチから手がけたBiSがLIQUIDROOMを満員にして、一気に伸びていった時期でもあって。そういうのを目の当たりにして、吉永も「これからの時代は、プロデューサーそれぞれの判断に任せた方がいいのかも」と考えるようになったらしいんです。そうしたら実際に「水曜日のカンパネラ」もヒットしたりして、そこからはかなり自由な社風ですね。

佐藤:その自由さが、面白い人材が生まれる下地になってるんですかね?

堀切:それにウチはまだまだ名刺だけで仕事を取ってこられるような事務所ではありません。プロデューサーの個の力が試されるというか、自分のアイデアとバイタリティで何とかするしかない状況なんです。でも、だからこそ野心も注げる。それがほかの事務所との大きな違いかもしれないですね。

佐藤:なるほど。堀切さんは、元々はアーティスト志望だったんですよね。

堀切:そうなんです。高校を卒業してから数年は、路上で歌ったり、ライブをしたり、ソロのアーティストとして活動していたのですが、ある時、つばさの新人養成部みたいなとこから声がかかって。22歳くらいのときですかね。それで当時中野にあった養成所に行くことになったんですけど、そこからデビュー案件があって本社に呼ばれて、とにかく目立とうと思って、歌も歌わずモノマネとかをしたりしていたら、「面白いから仮採用!」みたいなことになって。

 しばらくは合宿やレコーディングにも参加したりしていたんですけど、あるお酒の席で吉永から「社員だったら即採用なんだけどな」と、唐突に言われたんです。もちろん、僕はアーティストを目指していたわけだから、お断りしました。そしたら「わかった、アーティストをやりながらでいい。でも、お前は営業力があるから、ウチのアーティストの資料を持って媒体を回ってほしい。その代わり、自分のことも売り込んでいいよ」って(笑)。

佐藤詳悟

佐藤:そんなことあるんだ(笑)。でも、堀切さんって、めっちゃコミュ力が高いですもんね。ある意味でアーティストっぽくないというか。芸人さんとかもそうですけど、初対面の人にちょっと壁をつくる人も多いじゃないですか。

堀切:たしかに、僕はそういうところはないかもですね。「この枠をいただけないと、お給料増えないんです! お願いします!!  あと、実は僕もアーティストで……」みたいなスタイルで媒体回りをしていたら、いつのまにかプロモーター部署の社員さんよりも営業成績が良くなっちゃったんです。社内でも「あいつ、社員にした方がいいんじゃない?」みたいな空気になったらしく、それで正社員になった感じですね。

佐藤:アーティストを辞めたのは、どのタイミングだったんですか?

堀切:明確にこのタイミングっていうのはなくて、徐々にですかね。プロモーションに携わるなかで、20代中盤の自分がここから売れるのは難しいだろうな、ということには薄々気がついていて。一方で、裏方的な仕事に面白さも感じていたので、こういう形で音楽業界で生きていくのもいいかな、と。とはいえ、当時はまだアーティストとして売れたいという気持ちも、ちょっとだけありました。だから「アーティスト兼プロモーター」って肩書きをもらって、自分でもたまにライブをしたりしていたんです。でも、会社の体制変更でプロモーター部署自体がなくなってしまって。それで「自分で曲も作れるんだし、A&Rもやってみれば」と勧められて、最初に立ち上げたのがCUBERSだったんです。

佐藤:男性アイドルをやろうというのは、堀切さん自身のアイデアだったんですか?

堀切:自分からではないですね。でも、元々ジャニーズはすごく好きだったんですよ。最初に買ったCDはKinKi Kidsだったし、SMAPとかV6のCDも買ってたし、番組も見ていたし。誰かのファンというより、とにかく曲が好きでよく聴いていたんです。そんなことを思い出したら、自分で男性アイドルをやってみるのも面白いのかなと思えてきて。あとはやっぱり、淳之介さんがBiSを大きくしていく姿も見ていたので、自分もそこに挑戦してみたいなと。アーティストではなく裏方でやっていこうと決めたのは、そのときかもしれないですね。

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