イーロン・マスクがもたらしたTwitterの変化を見て思う 「Web3」とは理念であると同時に、“願い”なのかもしれない
「Web3」とは理念であると同時に、“願い”なのかもしれない
巨大化し続ける大手テック企業の独占的な優位性に対するカウンターとして、近年「Web3」という概念がささやかれている。こうした新たな言葉によって少し先の未来を規定するような動きはこれまでにもたびたびあり、「Web 2.0」や「ユビキタスコンピューティング」という言葉が過去にも話題になった。個人的には、大きな理念を語る人がいる一方で、いま現在そこまで大きな潮流を生んでいない点で「ささやかれている」という表現が現状では適当だと思いつつ、面白い動きだと注視している。
・これまで“顧客”と認識されていたユーザーが、自身の参加するコミュニティの運営に参加できる仕組みがあること
・ブロックチェーン技術により規定される、固有の価値を持つデータを活用すること
・これにより中央集権的だったかつてのプロダクトや収益構造を脱却し、分散型のネットワークが形成されること
などがWeb3時代のインターネットとして規定されており、Masotdonを始めとする分散型SNSなどはこの理念に合致したスタイルのツールとして理解されている。先のTwitterの例に照らして考えるとよりわかりやすく、Twitterは「イーロン・マスクのモノ」になってしまったけれど、分散型SNSは誰のモノにもならないのだ。まさに中央集権的な仕組みからの脱却を謳う考え方だが、前段の経緯を踏まえるとこれはむしろ懐古的な主張にも見えてきた。特に、「開かれたネットワークの実現」「開発者と企業の相互発展」というような古くからある理念とWeb3は食い合わせが良いように思う。
ただ、理念がどのようなものであれ、結局のところあらゆるサービスというのは「ユーザーが多いこと」自体に価値があり、単純に「嫌なら別の場所に移ればいい」とは言い難い。Twitterを離れるに足るような明快なメリットや、、あるいは「自身の発言する場所を選べること」自体の魅力や価値が広く浸透しなければ、わたしたちはもうしばらく、このふざけた物語に付き合わざるを得ないだろう。「Web3」とは理念であると同時に、こうしたうんざりする出来事から脱却したいという“願い”なのかもしれない。
ところで、かつて「ビアウェア(Beer ware)」という言葉があった。ソフトウェアの開発者が、「このソフトは無料で使えるけれど、もし会うことがあったらビールを1杯おごってくれよ」という態度で配布したフリーソフトのことだ。「Web 3」の理念を見ていると、牧歌的な時代に生まれたこうしたフリーウェアの在り方について考えてしまう。世界はもう一度、ビアウェアを思い出すのかもしれない。
〈Photo by Pixabay〉
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