好評のあまり売り切れも 『ロックマンエグゼ アドバンスドコレクション』がここまで待望されていた理由
2000年代に発売された『ロックマンエグゼ』シリーズをひとつのパッケージにまとめて復刻した『ロックマンエグゼ アドバンスドコレクション』が、4月14日に発売された。本作は発表されるとたちまち話題となり、実際に発売されると各店舗で売り切れが続出するなど、近年の急増する復刻・リマスター作品の中でも特に高い評価と売上を記録している。
一方、2000年代、それもゲームボーイアドバンス(以下、GBA)に向けて発売された本シリーズはややニッチであり、20~30代の世代が熱狂する一方で「世代ではない人」にとっては一体どこが魅力で、なにが評価されているのか要領を得ない人も少なくないと思われる。そこで、実際に『エグゼ』をプレイし、当事者として大変にのめりこんだ(次世代WHFの大会にも出場していた)筆者の立場から、なぜ『エグゼ』はそこまで評価され、復活を待ち望まれていたのかを論じたい。
「ロックマン」×「RPG」×「TCG」 それぞれの魅力を引き立てた斬新なゲームデザイン
『ロックマンエグゼ』はどのようなゲームだったのかを論ずる前に、軽くシリーズの沿革と当時の時代背景について説明したい。初代となる『バトルネットワーク ロックマンエグゼ』は2001年、カプコンの伝統的な「ロックマン」シリーズの最新作として、GBAと同日に発売された。
以降、『バトルネットワーク ロックマンエグゼ2』(2001年)、『バトルネットワーク ロックマンエグゼ3』(2002年)、『ロックマンエグゼ4』(2003年)、『ロックマンエグゼ5』(2004年)、『ロックマンエグゼ6』(2005年)まで続く長寿シリーズとなった。このほか、『ロックマンエグゼ4.5 リアルオペレーション』のようなスピンオフ、また各タイトルのバージョン違いなども含めると20本以上の作品がリリースされている。
かように、『ロックマンエグゼ』は2000年のカプコンを代表する1大シリーズにまで成長していた。ではそれほど成長する理由はどこにあったのか。まず、ゲームである以上当然ながら「面白さ」が求められるのだが、『エグゼ』は現代においても類をみない、極めて斬新なゲームデザインを採用していた点が考えられる。
『エグゼ』はタイトルこそ「ロックマン」を踏襲しているが、ゲーム内容は「3x3のマス目の中で両チームが戦う(計3x6)」「戦闘にはバスターのほか、100種類以上の”バトルチップ”というアイテムを使う」「個性豊かなキャラクターと共に電脳世界と現実世界を行き来しながらRPG的に物語を進める」など、元祖「ロックマン」と大きく異なるものだ。ではその要素を個別にみていこう。
まず、「個性豊かなキャラクターと共に電脳世界と現実世界を行き来しながらRPG的に物語を進める」とあるように、本作の大まかな構成はRPGを踏襲している。つまり、広大なマップを歩いて情報を集め、敵とエンカウントし戦闘、獲得した金銭やアイテムでより強くなる……と、本作は構成自体は伝統的な日本のRPGを意識しており、「RPG版ロックマン」とも言えるだろう。(具体的な物語・世界観についての説明は後述する。なお、ロックマンとRPGの組み合わせは『ロックマンDASH 鋼の冒険心』などの例もある)
しかしそこはカプコン、戦闘はありふれたターン・コマンド制ではなく、独特の戦闘システムを構築している。まず戦闘画面に入ると、ロックマンと敵はそれぞれ「3x3のマス目」に配置される。双方は攻撃を当てる、あるいは回避するために、このマス目の中で自由に動くことができる。動ける範囲こそ狭いが「ロックマン」らしい激しいアクションは健在で、個性豊かなウィルスと呼ばれる雑魚敵、またナビと呼ばれるボスの攻撃パターンを覚え、それを察知して回避するゲームプレイには「ロックマン」らしいアクションのスリルがある。
次に興味深いのが、主人公・ロックマンの攻撃手段だ。ロックマンの攻撃手段は主に2つ存在し、1つはロックマンお馴染みのバスター攻撃で、威力は低いが何度も使うことができる。そしてもう1つが『エグゼ』だけの攻撃手段、「バトルチップ」だ。これはバスターより威力・範囲のどちらも広いうえ、回復などサポートに特化したものまで幅広く存在し、なんと作品ごとに100種類以上存在する。『エグゼ』を「RPG版ロックマン」とするなら「バスター」を「こうげき」、「バトルチップ」を「まほう」や「とくぎ」と既存のRPGに喩えることができるだろう。
面白いのは「チップ」の使い方で、予め「チップ」を30枚「フォルダ」に設定しておき、いざ戦闘を開始すると30枚の中から5枚、ランダムに選ばれた「チップ」を選択して使う点である。つまり、必ず使いたい「チップ」を使えるとは限らないし、「フォルダ」内に入れられる同一「チップ」の枚数に限りがあるので、必然的にランダムに出てくるチップをうまく組み合わせ、即興で活用しなければならない点が、『エグゼ』戦闘の醍醐味なのだ。
すでに気付いた読者がいるかもしれないが、このシステムはトレーディングカードゲームに影響を受けている。実際、『エグゼ』が発売された2000年代は、『遊戯王OCG』や『デュエル・マスターズ』といったTCGが子どもたちの間でブームを巻き起こしていた時代。『エグゼ』はTCGにおけるカードを「バトルチップ」に、デッキを「フォルダ」に置き換えることで、TCGのランダム性やデッキ構築の面白さを、「ロックマン」のアクション性と見事に融合させている。
このほかにも、「強力かつ派手だが、極めて貴重という”レアカード”的なメガ・ギガクラスチップ」「他のナビが一時的に友情出演するナビチップ」「特定のチップを同時に使うと発動するプログラム・アドバンス」「心の”闇”を代償に使えるダークチップ」など、TCGの醍醐味をゲームデザインに落とし込むうえで様々な工夫が散見される。また地味ながら評価したいのが「チップ」ごとに描かれるイラストで、(ただでさえ容量の少ないGBAカセットで)膨大なチップにユニークなイラストで印象付けることで、チップを集めたい、眺めたいと思わせるTCGのコレクション的な歓びをも再現している。
さらにシリーズを追うごとに「ナビカスタマイザー」「スタイルチェンジ」「ソウルユニゾン(クロスソウル)」などロックマン本体を強化するRPG要素も拡張されるのだが、踏み込んだ内容になってしまうためここでは割愛する。
インターネットに希望を見出す「アトム的」SFストーリー
次に注目したいのが、『ロックマンエグゼ』の世界観と物語だ。『エグゼ』の舞台は20XX年。テクノロジーの発達に伴い「電脳世界」と呼ばれるインターネットが世界を覆った時代、人々は「PET」と呼ばれる携帯端末に、疑似人格プログラム「ネットナビ」を搭載して豊かな生活を送っていた。一方、電脳世界に生じたウィルスや、テクノロジーを悪用する組織もまた存在し、主人公、光熱斗はネットナビであるロックマンと共にこれらと戦うことになる。
本家「ロックマン」並びに「ロックマンX」「ロックマンゼロ」「ロックマンDASH」といったシリーズが、あくまで物理的な「ロボット」(作品によっては「レプリロイド」とも)の主観で描いてきたのに対し、『エグゼ』は電脳空間において肉体を持たない「ネットナビ」が、持ち主である子どもたちとタッグを組む点で対照的だ。どちらかといえば『電光超人グリッドマン』のように、サイバースペースが世界観のベースになっている。
(余談だが、アニメ『ロックマンエグゼ』にかかわった長谷川圭一は、後に『SSSS.GRIDMAN』の脚本も担当している)
ここで興味深いのは、カプコンの作品として『エグゼ』は驚くほど当時の子どもたち、特にローティーンに向けられた作品だという点である。そもそも2000年代当時、カプコンが手掛けた作品の多くは『鬼武者』(2001年)、『デビルメイクライ』(2001年)、『モンスターハンター』(2004年)など、やや暴力的な青年向けゲームが主力で、「ロックマン」シリーズも「X」はシリアスなストーリーを搭載した大人向けの表現が多かった。ゲームが文化として定着し、初期のゲーマーたちが青年、大人へと年齢を重ねたことを考えれば自然な流れだったが、一方で小学生など低年齢層に向けた作品が減りつつあった。
その中で『エグゼ』は、小学生と同世代の少年少女たちと、彼らに寄り添うネットナビとの絆を描くことで、子どもたちの心を一気に掴んだ。加えてTCG的なゲームデザイン、またGBAならではの通信ケーブルを介した対戦・交換など『ポケットモンスター』的なエッセンスもあり、『エグゼ』が当時の子どもたちにとって貴重なコミュニケーションツールになっていたのだ。
そこで重要なのが、カプコンともう一社、小学館だ。実は『エグゼ』はゲームだけではなく、マンガ、アニメ、おもちゃと、「ロックマン」として異例といえるメディアミックスを実現し、そのいずれも高い評価を得ている。そしてそのメディアミックスの中心が、今も『月刊コロコロコミック』で小学生の心を掴み続けている小学館だった。
顕著なところでは、鷹岬諒による漫画版『ロックマンエグゼ』は『月刊コロコロコミック』で2001年~2006年まで連載されていたし、アニメ版『ロックマンエグゼ』も同じく2002年~2006年まで放送され映画版も公開されたが、こちらも小学館とXEBECが中心として制作されている。また作中に登場する「PET」や「バトルチップ」を再現したおもちゃも、「デュエル・マスターズ」などで小学館と深い関係にあるタカラトミーが担当している。
このように、ゲームだけでなく、マンガ、アニメ、おもちゃといったメディアミックスの成功には小学館の存在が大きい。ここからは推察も交えるが、当時、ビデオゲームの開発能力は高いものの「2000年代における子ども」の実態を理解しかねていたカプコンにとって、恐らく「子ども」にじかに触れ、その実態を掴んでいた小学館は最良のパートナーだったのではないだろうか。任天堂のような例外を除く当時のゲーム企業が徐々に見失いつつあった「子ども心」を、『エグゼ』は見事に掴んでいたのだ。
同時に、『エグゼ』の物語で評価すべき点が、そうした「子ども」たちのリアルに寄り添い、励まそうとした成長物語として完成されている点である。よくファンの間では、『エグゼ』は未来を予見したかのような世界観が評価される。例えば「PET」はスマホを、「ネットナビ」はAIを予見している、といった考察だ。
しかし、筆者の考えとして『エグゼ』の物語的な魅力は別にある。そもそも『エグゼ』の描く「未来」はいささかファンタジックで、「ウィルス」は妙にかわいらしいし、「ネットナビ」は現在流行っているChatGPTと比べて遥かに人間的だ。また「ウラインターネット」といったインターネットの悪意ある側面をとらえつつも、アングラ感を過剰に表現した好奇心をくすぐる世界として描かれている。当時の小学生にとって、たしかに現代の科学の延長線上にあるけど、『ドラえもん』とか『鉄腕アトム』のように、ややユートピア的なファンタジーとして描かれたのが『エグゼ』の世界観なのだ。
そんな『エグゼ』の世界で一貫して敵として登場するのが、「ロックマン」でお馴染みのワイリーとその関係者だ。本シリーズにおいても、やはりワイリーはテクノロジーを私利私欲のために悪用する大人として描かれるのだが、それに対峙する光熱斗とロックマンは、一貫してテクノロジーを「他者を救い、友情を深める」ために使う(たまにヤンチャもするが)。開発者の一人が後に話すように、インターネットのようなテクノロジーが一般化するのと同時に、どうしてもそのテクノロジーが誹謗中傷などの悪意のために使われている現状を鑑みるに、むしろいまこそ「インターネット」に対して抱いた「繋がる」ことの希望を貫徹しようとする熱斗たちを描いた点こそ、『エグゼ』の醍醐味と言えるのではないだろうか。
日本経済が停滞を迎えた2000年代、すでに『ドラえもん』的なテクノロジーへの希望はすっかり消え、どちらかといえば、テクノロジーへの恐怖や悪意ばかりが目立っていた時代において、「それでも」と当時の子どもたちに人間の良心と、それを繋げるインターネットの可能性を信じさせようとした『エグゼ』の物語は、筆者を含め当時の子どもたちを大いに励ましたように思う。