wowaka&ヒトリエから受けた影響と喪失を経て、たどり着いた“新たな音楽” 椎乃味醂 × シノダ対談

 2023年3月18日~21日、ボーカロイド文化の祭典『The VOCALOID Collection ~2023 Spring~』(通称:ボカコレ2023春)が開催される。

 ボカロ文化の再評価やさらなる発展に寄与してきた『ボカコレ』も、今回で6回目を迎えることなった。同イベントはレジェンドたちの参加とネクストブレイクアーティストの発掘やベテラン・若手の交流を1つの企画内で実現できており、筆者はそこに面白さを感じている。

 そこで今回は、『ボカコレ』などを機にネクストブレイクアーティストとして邁進中の椎乃味醂をホストとし、ゲストに彼が“人生で最も影響を受けていた”と語るヒトリエのシノダを迎えた対談を実施。椎乃がヒトリエやwowakaから受けた影響、そこから現在の作曲スタイルに至るまでの変化、シノダによる椎乃味醂評や“ルーツ”との向き合い方、ヒトリエが現在の形に至るまでの試行錯誤、それぞれ違う『ボカコレ』に対する見方や若手クリエイターへのアドバイスなど、多岐にわたる話を繰り広げてもらった。(中村拓海)

wowakaとヒトリエに影響を受け、「アンノウン・マザーグース」に打ちのめされて生まれた“椎乃味醂”というアーティスト

――まずは、椎乃さんがシノダさんを対談のお相手として挙げられた理由をお伺いさせてください。

椎乃:僕は元々wowakaさんとヒトリエのファンなんです。ただ、僕がいま作っている音楽って、もうロックとはかけ離れた位置にあるのかな、と思っていて。こういう機会でもないない限り、一生シノダさんとお話しできる機会はないかもしれないと思って。それで、今回「お会いしたいです」と。

シノダ:あはは。だいぶ生き急いでますね。ご指名いただいてありがとうございます。

椎乃:こちらこそ、本当にありがとうございます。

――椎乃さんがヒトリエを初めて知ったタイミングというと、いつごろのことなんでしょう?

椎乃:ニコニコ動画に「トーキーダンス」などの動画が上がっていたころですね。そこで初めてヒトリエの音楽を聴きました。元々wowakaさんのファンだったので、「バンドもやってるんだ」と思ったんです。ボカロ出身のアーティストで、バンドを始める方が増えてきた時期だったので、2015年、16年くらいでしたね。

ヒトリエ 『トーキーダンス』MV / HITORIE – Talkie Dance

シノダ:椎乃くんは2003年生まれでしょ。いまは20歳ですよね?

椎乃:まだ19歳なんです。

シノダ:まだ19歳? もう、いい加減にしてよ(笑)。中学生くらいでヒトリエを聴いてくれてたってことか、なるほどね。

椎乃:はい。本当に大ファンですし、僕の人生を構成している要素のひとつとしてヒトリエが存在するんです。

シノダ:いち人間の大事な思春期を捧げていただいて、ありがたいですね。

――シノダさんはいかがでしょう。椎乃さんのことは元々知っていらっしゃいましたか?

シノダ:僕、2021年秋の『ボカコレ』で1位を取ったFushiくんと仲が良いんですけど、彼と話しているときに椎乃くんの話題が上がったんです。それで知って、曲を聴いて。本当に同年代じゃなくてよかったなと思いました。

椎乃:(笑)。恐縮です。

シノダ:たとえば僕がいま20歳とか21歳で、ボカロPの活動をしようとしていたとして、同世代に椎乃味醂が現れたら、立ち直れないかもしれない。超かっこいいと思いましたね。

椎乃:ありがとうございます。

――椎乃さんは元々いわゆるボカロック(VOCAROCK)と呼ばれるジャンルの楽曲を作っていましたが、現在の活動を始めるにあたって、ジャンルを大きく一新しましたよね。そのあたりのお話も改めてしていただくといいのかなと思いますが、いかがですか?

椎乃:僕がボカロPとしてデビューしたのは2017年なんですが、そのときに作っていた曲がwowakaさんの楽曲のフォーマットを借りるような、あまりに影響されすぎた曲だったんです。

 その時期に「アンノウン・マザーグース」が出たんですけど、wowakaさんが帰ってきてくれて嬉しい反面、〈ドッペルもどきが 其処いらに溢れた〉という歌詞に衝撃を受けたんです。ファンであることを隠れ蓑にして、結果的に傷つけるようなことをやってしまったんじゃないかと思って。

wowaka『アンノウン・マザーグース』feat. 初音ミク

 それから「このままじゃ駄目だ、修行に出ないといけない」と思い、3年弱くらいボカロを投稿するのをやめたんです。そこで誰のものとも違う、自分の音楽を作らないといけないと思って、100曲くらい作りまくって。

 椎乃味醂になってからは、とにかく実験的な要素を取り入れたり、僕の作る楽曲と椎乃味醂という名前が結びつくようにずっと考えていて、名前を伏せて作品を公開する機会があったときに「これは椎乃味醂の曲だろう」とバレて、初めて椎乃味醂という自分の像を確立できたと思えました。

シノダ:それが全部10代の出来事だもんなぁ。憧れの存在ができて創作を始めて、憧れの対象に曲で叱られたような感じがして、そこから100曲くらい作って。だからあんな曲になるんだってすごく納得がいきました。

――シノダさんは、いま椎乃さんがお話したような、ルーツになっている音楽から一歩踏み出そうという経験や葛藤はこれまで経験されたことはありますか?

シノダ:僕の音楽の原体験ってメロコア、パンクなんです。Hi-STANDARDの後くらいにNUMBER GIRLが出てきたりレジェンド的なバンドを経験して、思春期のうちに好きなバンドがみんな解散して。そのあとにNUMBER GIRLフォロワーみたいなバンドがいっぱい出てきたんですけど、僕は本当にNUMBER GIRLを崇拝してたから、逆に「それっぽいことをしてたまるか」みたいな気持ちで音楽をやっていたんです。

 でもヒトリエに加入させてもらうことになってから、自分の中のNUMBER GIRLを開放した方がいいかもしれないという気持ちの変化はありましたね。「ジャズマスも持ったことだし、やってみるか」みたいな。

――たしかに、2000年代後半から2010年代前半はNUMBER GIRLっぽいバンドがいっぱい出た時期であると同時に、NUMBER GIRLっぽさといまっぽさを組み合わせた突然変異みたいなバンドもいっぱいできたタイミングだったなという印象があります。ヒトリエもその潮流のひとつなのかなと思っていたので、いまのお話は納得です。

シノダ:あとは、そっちの方がwowakaという人間とコミュニケーションを取るのに話が早かったんです。彼もNUMBER GIRLがすごく好きだったから、「NUMBER GIRLっぽいことはしちゃ駄目だよね」っていうのもお互いあったし。彼の要求に対して「こういうアプローチはどう?」みたいな感じで、ちょっとだけNUMBER GIRLのエッセンスを加えるみたいなこともするようになりました。

――面白いお話です。今回椎乃さんがこの機会を作ることになったので、シノダさんに聞きたいことなどがあったら、是非お願いします。

椎乃:そうですね、質問というか感想みたいになってしまうんですけど……。今日、対談をするにあたってヒトリエの過去のインタビューを見返したんですが、やっぱり「4人で作り上げてきたバンドなんだな」とすごく感じたんです。『WONDER and WONDER』のインタビューで、「wowakaっていう人間を発射するような作業だった」っていう発言があって、特にそれを感じたんです。その時期、wowakaさんが不調だったんですよね?

シノダ:いやあ、もう頭から煙が出てましたよ。どん詰まりで。

椎乃:それをメンバーが後ろから支えたり、『IKI』も『DEEPER』もそうだし、一人ひとりの個性がぶつかって生み出されていくものはすごく大きいんだなと感じて。そういう制作の形態ってすごく素敵だなと改めて思いました。

シノダ:『DEEPER』とか『IKI』あたりからはバンドらしくなってきたなと思います。僕の場合『WONDER and WONDER』のころって、とにかくwowakaという人間に自分のギターを否定されるところからスタートしていて。そうやって作っていく中で、特に『DEEPER』とか『IKI』あたりからはいろんなアイデアを出せるようになったし、ギターも「重ねまくっちゃっていいんだな」みたいな感覚が生まれたんですよね。

椎乃:なるほど。バンドの中心的な人物がいなくなったときに壊滅状態になってしまうバンドもいると思うんですけど、ヒトリエはそうならず、4人で作り上げるときの方法論を3人体制になっても受け継いでいると感じて。

 その時期はヒトリエのファンの間でもこれからどうなっていくのか、今までのwowakaさんみたいな感じになるのかとざわついていた頃だと思うんです。でも、「curved edge」が出たときにすごく感銘を受けたんです。wowokaさんの“表層的な記号”を切り取って使うということをせずに、今まで4人で作り上げてきた環境を存分に活かしながら3人で作っている感じというか。「これがヒトリエなんだ」って改めて実感して。

ヒトリエ『curved edge』 / HITORIE - curved edge

シノダ:ありがとうございます。ちょっと照れくさい話ですね(笑)。そうですね、ヒトリエは「最近出会いました!」みたいな仲じゃないし、いろんな場面を見て、いろんなことをやってきた仲だから。

 あと単純に、「俺らは俺らできっとすげえよ」っていう気持ちもなんとなくあって。例えばYMOはすごい人間が3人いてできたバンドじゃないですか。じゃあ俺らもいけんじゃね、みたいな、馬鹿みたいな発想で(笑)。でも「curved edge」を作り出すまでは結構大変でしたけどね。デモをいっぱい書いて、ようやく「curved edge」のデモを提出したときに、みんなが「これだったら」ってなった。

 あと「curved edge」はEDMにチャレンジしたつもりだったんです。もともとクラブミュージックとかも好きで聴いていましたし、wowakaがいなくなってからは音楽を聴くのに疲れちゃって……。それで、ローファイヒップホップから始まり、フューチャーファンクとかヴェイパーウェイヴとか、よく知らないジャンルを聴いてみようみたいなモードに入ってたんです。そういうモードを引きずりながら『REAMP』の制作に入っていて、その最終形態が「curved edge」だったんですよね。

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