芸術顕彰の役割と意義とは? 文化庁『メディア芸術祭』終了によせて

文化庁芸術祭の贈賞も廃止 縮小する顕彰の場

 しかし、いま のところ、メディア芸術祭なき後の受け皿として文化庁があげているのは『芸術選奨』だ。荒木飛呂彦(第69回)や小島秀夫(第72回)などメディア芸術祭で受賞経験のある面々も選ばれているとはいえ、本制度は作品ではなく個人を対象としたものであり、たとえば今年度のメディア芸術祭のアート部門やエンタメ部門の大賞作品のようにチームで制作している場合、全員の選出はむずかしそうだ。またこれまで選出されたのはほぼ全員日本人であり、外国人アーティストをも巻き込んだ「クールジャパン」戦略の発信地としての性質は、大幅な変更を余儀なくされるだろう。

 ほかに考えられる道として、『文化庁芸術祭』への合流がある。こちらは前述の『文化庁映画賞』として離脱した映画を除き、演劇・音楽・舞踏・大衆芸能・テレビ(ドラマ)・テレビ(ドキュメンタリー)・ラジオ・レコードの各部門が設けられている。ここにメディア芸術祭の審査員やスタッフが合流すれば、幸い贈賞については両者ともに大賞・優秀賞・新人賞と共通しているので、メディア芸術祭の審査委員会推薦作品を別途くわえても大きな影響はないと思われる。今後芸術選奨は人、芸術祭は作品を対象に、新旧のアート全体をカバーするというのは、中澤のいう方向性とも合致するのではないか。

  ……と考えていたところ、その『文化庁芸術祭』まで贈賞が廃止されることになってしまった(公演など芸術祭自体は存続。※11)。あわせて『文化庁映画賞』も今年度で終了となり、少なくとも現場のクリエイターたちにとっては、来年度以降の芸術顕彰をめぐる環境が先行き不透明なまま、見切り発車を余儀なくされたかたちとなった。

 もちろん、顕彰自体は多くのアーティストにとって副次的な結果にすぎず、むしろこれまでのような「祭」をハブにした有識者と製作者、作者と観客、日本と海外といった人的ネットワークをどのように存続させるかのほうが重要な課題だ。既存の大規模なイベントとしてはメディアアートの国際的な祭典で、日本からも落合陽一などが受賞している『アルス・エレクトロニカ』や、日本を含むアジア地域で開催されるCGアート系イベントの『SIGGRAPH ASIA』などがある。

 とはいえ前者の日本支部のサイトでは、その目的として「文化・創造戦略の活動では、Ars Electoronicaの雰囲気を日本にもたらすと共に、アーティストと人々が共に未来の社会を議論するための文化的なプラットフォームを様々な場所に創り出」すことが掲げられており(※12)、国際的なスタンダードを日本に“もたらす”、あるいは日本のレベルをそこに“引き上げる”というミッションがうかがえる。

 これは日本文化をありのまま発信し、また海外からの“挑戦を受け入れる”ことで国内シーンの活性化をはかるメディア芸術祭とは立場が逆であり、相互に補完関係にはあるが一方が他方を代替するものではない。

 鑑賞者の立場では、地理的に気軽かつ多頻度でアートと触れ合える場が消失するのと同義であり、その点でも国内で安定的に開催されるメディア芸術祭関連イベントがはたしてきた役割の大きさを再認識させられる。

 今後、新規あるいは既存のイベントが部分的に代替するとしても、これまで築いてきたブランドを一から作り直す労力は小さくない。もしそれがアーティストや鑑賞者たちの声に沿ったものであれば、我々自身が積極的に認知度の向上に関与していくことも必要だろう。

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