芸術顕彰の役割と意義とは? 文化庁『メディア芸術祭』終了によせて

 8月24日、文化庁は令和4年度の『メディア芸術祭』について、作品の募集をおこなわないことを公式サイトにおいて告知した(※1)。

 この決定はマスメディアによってただちにかつ大々的に報道され、国内外から一斉に驚きと不満の声が文化庁に寄せられ……なかった。本件については(一部全国紙を含むとはいえ)現在にいたるまで数社が事実関係を淡々と伝えたのみで、反響も限定的なものになっている。

 そのためこれをお読みの方のなかにも、『メディア芸術祭』とは何かご存じない方がいらっしゃるかもしれない。事の是非を論じる前に、まずはその歴史を少し振り返ってみよう。

メディア芸術祭設立の経緯とこれまでの主な受賞作品

 『文化庁メディア芸術祭』は、『文化庁芸術祭』や『文化庁優秀映画作品賞』(現・文化庁映画賞)など、文化庁主催のその他の芸術関連イベントのカテゴリに含まれないものを対象として、1997年に始まった。今年で25年目、ちょうど四半世紀になる。公式サイトの記述では「アート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門において優れた作品を顕彰するとともに、受賞作品の鑑賞機会を提供するメディア芸術の総合フェスティバル」と位置づけられており(※2)、受賞作品は都内の美術館などで展示されるほか、各地で地方展もひらかれている。今年1月には高知市で、文化庁メディア芸術祭高知展『ニューツナガル』がおこなわれた(※3、図1)。

図1. 文化庁メディア芸術祭高知展公式サイト。9月14日現在は閲覧できなくなっている。

 年度ごとに多少の変動はあるものの、応募作品数は第16回以降3,000件台後半〜4,000件台で推移しており、その約半数が海外からとなっている。今年度(第25回)は全体が3537件で、半分がアート、残りをマンガ・アニメ・エンタメ(ゲームなど)の順で占めている(図2)。

図2. 第25回文化庁メディア芸術祭応募概況(公式サイトより)

 第25回の大賞作品は、

アート部門: 「太陽と月の部屋」(anno lab/インタラクティブアート)
エンタメ部門:「浦沢直樹の漫勉neo ~安彦良和~」(上田 勝巳ほか/テレビ番組)
アニメ部門:「The Fourth Wall」(Mahboobeh KALAEE/短編アニメーション)
マンガ部門:「ゴールデンラズベリー」(持田あき)

 第23回から新設されたフェスティバル・プラットフォーム賞が、

「Path of Noise (r, theta, phi)」(Paul LACROIX/アプリケーションプログラム作品)
「親愛なるウイルスたちへ」(王 俊捷/映像作品)

 となっている。

 同祭はこれまでにも、『バガボンド』(マンガ部門第4回大賞)や『デジタル・ガジェット 6,8,9』(アート部門第7回大賞)、『Wii Sports』(エンタメ部門第11回大賞)、『君の名は。』(アニメ部門第20回大賞)など、時代を代表する新奇性やクオリティを備えた作品を顕彰してきた。

 これらすべての部門で海外作品が受賞していることも特徴的だろう。この点は日本映画を念頭においている『文化庁映画賞』とは対照的だ。2018年に文化庁が内閣府に提出したクールジャパン政策にかんする資料(※4)で、メディア芸術祭が情報発信と人材育成の二つの項目で言及されているほか、内閣府の「クールジャパン戦略」のページにも同祭へのリンクが記載されているなど(※5)、少なくとも文化庁や内閣府は、『メディア芸術祭』を「クールジャパン」政策の一環として位置づけている節がある。

廃止は結論ありき? 現代における同祭の意義は再考の余地ありか

 こうした実績あるイベントにもかかわらず、9月14日時点でこの件を報道しているのは、筆者が確認できたかぎり大手メディアでは読売(※6)と朝日(※7)のみだ。それらも文化庁の見解と数本の受賞作をあげるのにとどまっている。もう少し踏み込んだインタビューをしているところもあるが、こちらも同祭が生み出したものや廃止による影響に対するメディア側からの見解はしめしていない(※8)。

(※本稿を初回校正にまわした後、いくつかのメディアで続報があった。なかでも元選考委員の小田切博による「異質なものが同居する場・文化庁メディア芸術祭」(コミックナタリー)は、本稿では十分に言及できなかった具体的な作品紹介を中心に、同祭の別の側面に光をあてている)

 一方、同祭になんらかの形でかかわってきたアーティストや研究者たちは、今回の決定で失われるものや報道の少なさへの苛立ちについて、SNS上で表明・考察している。

 デジタルハリウッド大客員教授で自身も参加経験のある白井暁彦は、参加時の心境を振り返りつつ、公開資料をもとに予算面での継続可能性の有無などについて詳細に分析している(※9)。推論の妥当性についての論評は避けるが、今回の決定が現場のクリエイターたちの声を反映したものでなく、官庁主導の結論ありきで進められたことは言えそうだ。

 他方、同祭で審査員を務めたこともある美術家の中澤英樹のように、発展的な改組や解消に肯定的な声もある。中澤は自身のかつての提言を再掲する形で、日本独自の概念である「メディア芸術」=複数形のメディア・アーツへの違和感を述べている(※10)。そこでは逆に従来的な観念での美術一般が排除されているが、同祭設立時には顕著だった美術一般とデジタルメディアの力関係の差が相当程度縮まったと考えられる今、こうした線引きがはたしてどこまで意味をもつのかという彼の疑問には、たしかに一考の余地がある。

関連記事