VTuber史上最速の登録者100万人突破。壱百満天原サロメの“快進撃”はなぜ生まれた?
最後にあげたいのは、自身のキャラクターロールとその距離感について、キャラクターロールの簡略化と「魂」の自己実現性について。
「壱百満天原サロメは、お嬢様を目指す一般人女性である」
この話は公式サイトでの自己紹介だけではなく、自身が生配信やSNSを通じて何度となく発言していることだ。
こういったプロフィールを、VTuber一人ひとりがもれなく背負っている。
あるものは女子高生であり、あるものは悪霊を祓う術師、あるものは犬であり、あるものはどこか遠い未来からやってきた人間・あるものは人間よりも長らく生きてきた吸血鬼・鬼、あるいは神であると。
こういった文言や設定を、一人ひとりのリスナーがどこまで重んじるかは人それぞれである。単なるフレーバーテキストレベルとして受け取り「中の人」を活動者として意識するリスナーもいれば、そういった設定やニュアンスを重くとらえてまさにアニメキャラクターとして受け取ろうとするリスナーもいるだろう。
なにより、バーチャルタレント自身がこういった設定や文言をどこまでロールするのかすらも、タレント一人ひとりによって変わってくる。
この塩梅やバランスというのは、にじさんじという事務所だけではなく、ホロライブやぶいすぽっ!といった大きなプレゼンスを発揮している事務所から、いままさに駆け出しの個人VTuberとして動いている者、バーチャルタレントシーンに関わる一人ひとりによって変わってくる。
VTuber・バーチャルタレントが徐々に増えていた2017年ごろから現在に至るまでのVTuberシーンの変遷は、キャラクターロールの簡略化と「魂」の自己実現性との関係性が織りなす歴史といっても良いだろう。
一定数のバーチャルタレントには「なぜこの事務所に入ったのか? 入る前には何をしていたのか?」というリスナーからの問いかけに答える方もいる。キャラクター性を担保したまま受け答えをするタレントもいれば、そういった設定性をいちど横において「面接のときの自分とその心境」について真摯に答えようとする例もある。
あるいは配信外でオフの時間を楽しむ自身について嬉々として話すこともあるし、なんなら同じVTuber・バーチャルタレントの友人と現実のテーマパークに遊びに行ったことを報告だってする。
彼らは現実から隔絶された存在ではなく、我々リスナーの近くに、「どこかにいそうでどこにもいない」存在としてユラユラと揺らめいているのだ。
これは先に述べた個々のプロフィールや設定と見比べたとき、ちょっとした裂け目を生み出してしまうのは言うまでもない。
こういった部分から見えるキャラクターロールの簡略化は、演者へのストレスを減らすことにも繋がるが、同時に「魂」(中の人)のリアリティを強く押し出し、「リアル」が見えるということでエンターテイメント性や非日常性を損なってしまうのではないか。
おそらく初めてVTuberやバーチャルタレントを見た人ならば少しだけ気になる点であろうし、慣れ親しんだ人ならば「そこまで重きを置くことか?」とも思えるであろう。
2022年のVTuber/バーチャルタレントシーンとはすでに、キャラクター性などの「設定・役割(キャラクターロール)」を演じてその幕劇を楽しむようなフィクション性としてだけではなく、エンターテイメントの「職務(ロールモデル)」として「魂」(中の人)の夢・目標・自己実現を達成しようとするドキュメンタリー性が、あまりにも強くなってしまっていると言える。
そこでもう一度、壱百満天原サロメの公式文を見てみよう。
「本当のお嬢様に憧れる一般女性。髪や口調は生まれつき。」
あまりにも短いこのテキストからは、『壱百満天原サロメは「お嬢様」という存在を追及する女性である』と読み解けないだろうか。
「すでになっている」のではなく、「これからなろう」とする。彼女は、架空性のある設定を背負って演じるのみならず、架空性の強い夢・目標を掲げて、これから先の未来に向けて邁進すると宣言している。
決められたキャラクターロールと「魂」(中の人)の夢・目標・自己実現が同一のものとして掲げられているからこそ、配信中のどのような言葉にも説得力と重みがより増して視聴者に届く。「百点満点のお嬢様になる!」「皆様を百万点の笑顔にしてみせる!」というありきたりな響きを持った言葉は、新人離れしたヘビーウェイトなパンチラインへと様変わりするのだ。
もちろん彼女はゲーム中や雑談配信などでは水も食事もとり、お母さまをママと呼んでいることを明かしたり「もうちょっと速いデビューが予定されていた」といったこともツイートしているので、非現実めいたフィクション性の高いキャラクターを演じているつもりはほとんどないだろう。
だが同じように、口調はもちろんお嬢様らしさ溢れる「ですわ」口調であり、会話の中で「お嬢様を目指すのであれば!」とモットーを口にすることを忘れることはないのだ。
ガチガチに固め過ぎず、ユルユルに緩めすぎてもいない、「お嬢様を目指す一般人女性」なので、多少の粗が見えたとしても仕方がない、といった絶妙な温度感に保たれたなかで、彼女は「お嬢さま」になろうとする。設定・役割というキャラクターとしても、職務を通して自己実現を果たすロールモデルとしても、一本筋の通ったストーリーを彼女は提示している。
こうしてみると、このちょっとした違いが「この子を応援したい!」と感じさせるような座組みとして作用しているのがわかるだろう。過熱気味な報道やSNSの反響などから彼女の配信を見に来る視聴者の多くが、「VTuber・バーチャルタレント」の生配信を初めてみるうえでも、よりわかりやすく伝える手助けになっているはずだ。
まるでこの5年間で揺れ動いたキャラクターロールと「魂」の関係性をうまく読み替えてみせたかのような彼女は、Twitter上でこのように先達たちへの感謝を述べている。こういった問答はもちろん、万人にも及ぶ先輩たちの動きがあったからこそだろう。
今後長く太く活動していけばいくことを想像すれば、彼女が歩もうとする道のりが、フィクションもリアルも綯い交ぜになったオリジナリティ溢れるヒューマン・ドラマやドキュメンタリーのように見えてくるだろう。
壱百満天原サロメはにじさんじの中だけではなく、事務所外のバーチャルタレントおよびシーンを飛び越えて引っ張りだこになってしまう未来も見えてきそうではある。
望外なほどの期待とプレッシャー、無意識に投げかけられる様々なロール(設定・職務)、それをか細い肩に背負い、フィクションとドキュメンタリーをシームレスにつなぎ合わせるように活動する彼女。いまは目の前の活動をしっかりとこなしてほしいと、ただ願うのみである。