『エルデンリング』などの物語や世界観を醸し出す名文の数々。フロム・ソフトウェアのフレーバーテキストは、なぜ優れているのか?
馬のため。ついでに星を砕く
『日本語の作文技術』と言えば、しっかりとした日本語を書くうえで欠かせない参考書のひとつだ。著者の本多勝一氏は、良い文章を書くコツとして下のように綴っている。
「おもしろいと読者が思うのは、描かれている内容自体がおもしろいときであって、書く人がいかにおもしろく思っているかを知っておもしろがるのではない。読者もまた美しいと思うためには、筆者がいくら『美しい』と感嘆しても何もならない」
(『日本語の作文技術』P213)
「美しい」という言葉は、なにかを感じて得た表現だ。つまり、それを美しいと思う根拠は本人の中にしかない。いくら美しいと言ったところで、その理由を説明しなければ、読者には共感もなにもないということだろう。
ラダーン将軍は、『エルデンリング』で過去に起こった破砕戦争における英雄で、神である女王マリカの血を引く「デミゴッド」の一角。最強のデミゴッドであり、プレイヤーが戦うボスのひとりでもある。
上の画像の文章が書かれている「星砕きの追憶」は、ラダーンを倒すことで手に入る。つまり、この文を読んでいる時点で、プレイヤーはラダーンがどのような存在か、少しは知っている。彼はプレイヤーの何倍もある巨体で、小さな馬にまたがって戦う。激しい剣戟や跳躍をするにも、つねに馬の上だ。馬がかわいそうだと思った人は多いだろう。筆者もそうだった。
追憶に書かれたテキストを読むと、その印象は覆る。小さな馬に乗るために、ラダーンは重力魔法を学んだことがわかる。このときの将軍は「朱い腐敗」に侵されていて、正気を失っていた。それでも重力を忘れず馬に乗って戦い続けたのだから、ふたりの過ごした日々や育まれた絆などが想像できる。
さらに、彼の二つ名である「星砕き」は、本作の世界に降ってきた流星を重力魔法で砕いたことに由来するのだが、テキストを読めば分かる通り、武器となった重力は星のためではなく、馬のためにあった。星を砕いたのはついでだ。馬のためにひとつの学問を修めたのだから、ラダーンは優しい英雄だったに違いない。
だが、テキストに「優しい」とは書かれていない。代わりに、優しいとわかる描写なら記されている。冒頭で引用した文章を借りるなら、筆者がラダーンを優しいと感じたのは、優しいと書かれていたのではなく、描かれていた内容が優しかったからだ。書き手はラダーン自身のエピソードを抜粋することで、彼がどんな人なのかを暗示した。そして、筆者はそこに優しさを見た。優しいとただ言われるよりは、自分で優しいと思えるほうが、同じ思いでもずっと印象深いだろう。
ゲームは遊んでこそだが、そのなかで書かれた文章もまた、作品を構成する欠かせない要素と言える。もし『エルデンリング』のフレーバーテキストをあまり読んでいないのなら、少し足を止めて、手に入れたアイテムや装備について書かれた文章から思いを巡らせるのもまた一興だ。