西川貴教とのコラボで話題に~グローバルで活躍する音楽家・ゆーすけがライブ配信に見出したもの~

音楽家・ゆーすけがライブ配信に見出したもの

 日本で支持されているライブ配信サービスのなかには、グローバルで展開するものが数多く存在する。それに伴い、「ライバー」と呼ばれるライブ配信者も海外を拠点として活躍している人が増え、活動の飛躍のきっかけになったり、ファンとの交流や表現の場として重きを置いたりと新たな可能性を広げている。

 中国圏を中心に、映画作曲家として活動しているゆーすけ氏もそのひとり。アメリカに生まれ、現在は香港に在住している彼が、「17LIVE」に出会いライブ配信を始めたきっかけとは。そして、音楽に対する熱い想いや、『西川貴教のニシナナLIVE』で西川貴教とコラボをした時の感想。さらに、今後の目標を語ってくれた。

波多野裕介
2017年度香港映画賞 最優秀オリジナル映画音楽賞を受賞(日本人では最年少受賞)
香港を中心に中国圏で映画作曲家、編曲家、ピアニストとして活動している。
代表作『映画 真・三國無双』『花椒の味』『ソウルメイト/七月と安生』など
SNSリンク集 https://aboutme.style/yusukehat

異国の地を転々とし苦労したことも 楽しめるようになったきっかけ

--いまは、香港に在住していらっしゃるんですよね。

ゆーすけ:そうです。10年ほど、香港で音楽活動をしています。

--それまでは、どのような生活を送ってこられたのですか?

ゆーすけ
ゆーすけ

ゆーすけ:香港に住む前から、親の転勤の影響で、海外を転々としてきました。そもそも、生まれたのがアメリカなんですよね。そこから、日本、マレーシア、シンガポール、オーストラリアと移住をして。日本人ですが、日本に住んでいた期間は5年しかないんです。

--それは、すごいです。海外で生活を送る上で、苦労もあったのでは?

ゆーすけ:もちろん、当時は差別に悩んだこともありました。でも、いまとなれば、柔軟性や強い精神力を培うことに繋がったと思っています。そもそも、親がわりとオープンな人だったんですよね。英語もペラペラで。母親に至っては、引っ越すたびに現地の言葉を楽しそうに学んでいました。そんな両親に育てられたので、日本に帰国することがもったいなく感じるようになって。大学も、オーストラリアに進学することを決めました。そもそも、ちがう国の文化を学ぶというのは、楽しいプロセスなんですよね。その思考に慣れるまでが、大変なのですが……。でも、“朱に交われば赤くなる”とか、“住めば都”とかいう考えを持つことができれば、どんな場所でも楽しむことができると思います。

--素敵な考えですね。そのなかで、音楽に興味を持ったタイミングというのは。

ゆーすけ:アメリカにいたころに、3年ほどピアノの練習をしたことがありました。ただ、プロを目指すわけではなく。日本に帰国したあとも、ピアノを触ることはありませんでした。でも、マレーシアに引っ越したときに、なかなか国に馴染めず、孤独を感じたんです。当時は、ネットもなかったので、心を許せる友だちがいない孤独な状況のなか、たまたま家にあった電子ピアノに触れてみたんです。そこからどんどんのめり込んでいき……。最初に興味を持ったのは、ゲーム音楽でしたね。植松伸夫さんに憧れて、作曲ソフトを買ってもらって。

--ゲーム音楽に興味を持ったのは、やはりゲームがお好きだったから?

ゆーすけ:そうですね。日本に住んでいた頃は、もうゲーム三昧で(笑)。ある日、『ファイナルファンタジー』のサウンドトラックを聴いたんですよね。すると、ゲームをやっていた当時の状況が、鮮明に蘇ってきて。音楽を聴いただけで、記憶が呼び起こされることに驚いたんです。すると、だんだん自分も演奏してみたいと思うようになって。理論を学んだわけではないので、耳コピなど真似事から始めました。それが、16歳の時のことです。当朝昼晩、ずっと音楽に没頭していることが楽しくて。友人と会う時間を、すべて音楽に費やしてきました。

--そこから、プロを目指すようになったきっかけは?

ゆーすけ

ゆーすけ:オーストラリアの大学には、数学専攻として入学しましたが、頭のなかは音楽でいっぱいだったので、途中で音楽専攻に変更したんです。そして、卒業後からいわゆる下積みを始めました。フリーランスだったので、ホテルで演奏をしたり、学校で音楽を教えることで生計を立てて。下積み時代は、無償で音楽を提供したこともありましたね。

--音楽活動の場に、香港を選んだ理由というのは。

ゆーすけ:香港人の妻と出会ったことがきっかけです。香港に引っ越して、ホテルでの演奏を中心に活動するようになりました。ただ、僕は昔から音楽を習ってきたわけではないので、かなり苦戦もしまして……。ホテルでの演奏は、さまざまなテイストの音楽を、すべて頭のなかに叩き込まなければならないんです。さらに、ホテルを掛け持ちしていたので、1日7時間の演奏を毎日続けていましたね。その時に、エンターテイナーとしての精神が身についたんだと思います。

初めてのライブ配信は「懐かしい気持ち」

--「17LIVE」で、配信を始めたきっかけを教えてください。

ゆーすけ:いちばん大きなきっかけは、新型コロナウイルスが流行したことです。音楽を直接お届けする場所がなくなってしまったので、インスタグラムで音楽の発信をするようになりました。それを見た方にスカウトをしていただき、「17LIVE」と出会いました。

--初めて配信をされた時は、どうでしたか?

ゆーすけ
ライブ配信の様子

ゆーすけ:初めてのはずなのに、懐かしい気持ちになりました。誰かにリアルタイムで聴いてもらうということが、ホテルで演奏していたことの延長線だという感覚があったからかもしれません。生の演奏とちがうのは、聴いてくださる方の人数や、相手がおもに日本人であること。今までの観客は香港の方だったのでギャップはありましたが、過去に培ってきた経験で、どうにかやり遂げることができました。

--聴いている方のリアクションが、リアルタイムで伝わってくることについては。

ゆーすけ:その点は、ホテルなどの演奏と同じですよね。やはり、1人で演奏をしているのとはちがいます。ライブ配信で、リスナーのリアクションをいただくことで、ミュージシャンとしての心を失わずにすみました。周囲には、コロナの影響で音楽活動をやめてしまった人も多かったんです。僕は、ライブ配信と出会えたので、どうにか気持ちを保つことができました。

--ライブ配信をするなかで、うれしかったことを教えてください。

ゆーすけ:昨年の10月に、イベントで1位をいただいたことです。そのイベントで1位になったことで「Spotify」の広告で僕が歌っている場面が流れたんです。それがすごくうれしかったですね。毎日配信を続けてきたので、リスナーの方々の応援が結果に繋がったんだと思います。

--では、逆に難しかったことはありますか。

ゆーすけ:僕は元々夜型人間だったので、毎朝6時に欠かさず配信を行うことがチャレンジでした。加えて配信を始めたばかりの時は、準備に何時間もかけていて。いまは、ルーティンのようなものを得ることができましたが、それまでは大変でした。

--準備というのは?

ゆーすけ:ファンのみなさんに楽しんでいただくために、毎日セットリストを変更しているんです。2時間の配信だと、約19曲のセットリストを作らなければならないので、それだけでもかなりの時間がかかてしまいます。

--それを、毎日ということですもんね……。

ゆーすけ:そうですね。でも、過去に苦労を経験しているので、乗り越えることができています。ホテルで演奏をしていた時代に培ったものを、現在の配信に生かしながら。あとは、聴いてくださるリスナーさんが、たくさんいてくださるおかげで、モチベーションを保つことができます。

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