『あつ森』と『サブノーティカ:ビロウゼロ』の共通点と決定的な違いって? 北極圏深海での“過酷なDIY”が生む時間体験

 ところで「DIY」によって住居を拡張したり行動範囲を広げたりすることが主題になっているゲームといえば、ある作品が連想されないだろうか。

 昨年(2020年)大ヒットした『あつまれ どうぶつの森』である。同作でも木材や鉱石からあらゆる家具・道具を製作し、「生活すること」そのものの豊かさと向き合える作品である。近い時期に発売された作品として、両者には共通するところがあるだろう(ちなみに『サブノーティカ:ビロウゼロ』の前作『サブノーティカ』は2018年に発売された)。

 もっとも共通点があるといっても、その世界観はむしろ正反対であると言える。これまで紹介してきたように、『サブノーティカ:ビロウゼロ』は過酷なサバイバルを舞台としており、ときには海中で食殺されることもあるのに対して、『あつ森』の世界は非常に牧歌的で死や危険とはかけ離れたものである(あるとすればサソリに刺されることくらいだが、気絶するのみで無傷で済む)。

 加えて、「UXデザインの親切さ」という点でみても両者はまるっきり正反対だ。『サブノーティカ:ビロウゼロ』にチュートリアルがほぼ存在しないことなどは前述のとおりだが、一方で『あつ森』ではUXの親切さこそが魅力になっているということは周知のとおりだ(参考:「『あつまれ どうぶつの森』の世界観をつくるUXライティング」)。「無人島での自由なスローライフ」を謳いながら、どのような手順でどんな行動をすればよいかということは作中の絶妙なタイミングで(主にたぬきちというキャラクターを通じて)指示され、本来であれば過酷なはずの無人島暮らしを非常に「快適」な形で送ることができる。

 両者はこうした、いわばゲームへの「とっつきやすさ」がそのまま作品全体の世界観に直結しているということのわかりやすい例ではないだろうか。

 さて、いま紹介したのは『サブノーティカ:ビロウゼロ』と『あつ森』の正反対ともいえるUXの相違点だが、もう一つ、両者の間にある(ひょっとしたら決定的な)差異を指摘してみたい。

 すなわち、両作中の「時間の流れ方」の違いについて。改めて言うまでもないが、『あつ森』の時間は社会と同期している。実際に時刻が一致しているという意味でもそうだし、そうでなくとも時間の進む早さが同じであるという意味で、常に時間が同期している。そのことが、通信機能を用いた本作のコミュニケーションツールとしての魅力を高めてさえいる。というより、「コミュニケーションツールとしての発展」という一つの潮流[1]を築いてきた21世紀のゲームの、ある種の完成形であるとさえ言えるだろう。

 一方、『サブノーティカ:ビロウゼロ』の作中世界を流れる時間は(地球の)現実社会と同期してはいないし、それによって他プレイヤーとのコミュニケーションが発生することも当然ない。では何が時間のサイクルを生み出しているのかといえば、それは主人公の肉体である。

 同作では画面左下に「カロリーゲージ」や「酸素残量ゲージ」「体温ゲージ」といったバロメータが表示されている。カロリーが減れば食事を、酸素が少なくなればなれば呼吸を、といったように、これらのバロメータによってプレイヤーの行動は決められ、それが一つのサイクルを生み出しているのだ(ゲージの減少を放置すると死亡する)。ちょうど『あつ森』のプレイ中は画面左下に(現実社会と同期した)「時計」が表示されているのとは対照的である。

『サブノーティカ:ビロウゼロ』の世界では、「社会」が実際にいま何時であるか気にすることはまったく無意味だ。注意しなければならないのは、身体が作る時間のサイクルである。こうした、常に生理現象と向き合わねばならない、ある意味最もラディカルな時間のサイクルのとらえ方は、「時計」が常にインターネットと同期した生活を送っている筆者にとって、かえって新鮮なものに思えた。

 そしてこうした体験を生身の肉体ではなく画面内のデジタル情報が与えているということが、どこか奇妙なものに思えてならなかった。こうした時間の流れ方や作品への「とっつきにくさ」、グロテスクで奇形的な海の生き物たちが、筆者を「なんだかあり得そうもない」世界へと潜没させたのだった。

 『あつ森』に「素潜り」が実装された際、「酸素残量ゲージ」のようなものは登場しないが、特にそれを気にすることはまったくなかった。これまで述べてきたような『サブノーティカ:ビロウゼロ』のプレイを経た後で「そういえば」、と思ったのである。というか、そういえば、あの主人公はカロリーも消費しないし体温も変化しないのだった。

 しかし、そういった身体のサイクルに目を向けることは過酷である。そうした過酷で非日常的な時の流れは、インフラが十分に整った孤島よりも社会からはるか遠くに離れた北極圏の深海でこそ体験しうるものだろう。

[1]中川大地前掲書、「日本ゲームの進化史──二つの三角力学の交錯として」(『PLANETS vol.7』第二次惑星開発委員会、2010)などを参照。

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