新ゲームハード「Steam Deck」が売切れ必至になる、と言い切れる理由

 Nintendo Switch、Playstation 5、Xbox Series S/X……。新しいゲームハードの発表はいつだって人々を沸かせる。仮に買うつもりがない人にとっても、新たなゲームハードはそれだけで常に新しい地平を開き、ゲーム文化に革新をもたらしてきたことを経験的に知っているからだ。

 今年7月にValveが発表した「Steam Deck」にも同様の注目が集まっている。7インチのディスプレイを真ん中にしつらえた携帯可能なゲームハードで、驚くのはAMDと共同開発したAPUに、Zen2ベースのCPU、RDNA 2ベースのGPUを搭載したことで、最大1.6TFLOPS/FP32の性能を実現。実質的にPS4、Xbox One Sに匹敵する処理能力を持ち、価格は最低価格399ドルという安さ。北米や欧州では先行して予約が始まったところ、1時間ともたずに予約完売。公開されたページもろともダウンするという、圧倒的な売れ行きを見せた。

 必然的に、多くのメディアは任天堂の主力ハード・Nintendo Switchと比較する記事を書いた。Bloombergは「Nintendo SwitchにとってValveの携帯ゲーム機は新たなライバルとなる」と題して報道し、Reddit等のゲーマーコミュニティでも両ハードを比較するミームが拡散している。実際、ボタンの配置などユーザーインターフェースはSwitch(特にLite)と類似している。

5万本のゲームに即アクセスできる圧倒的なライブラリ

 しかし、ただディスプレイ一体型の携帯可能なハードという点のみで、Steam Deckを「高性能版Switch」のように捉えるのは早計だ。むしろハードとしては、PS5、Switch、XSXと比べても全くの異質であり、むしろそれらを圧倒的に凌駕する、ある一点のとてつもない武器を持っている。

 

 その武器とは、圧倒的なソフトの選択肢だ。2021年7月時点で、Nintendo Switchで配信されているゲームタイトルの数はおよそ5000本。それに対し、Steamで配信されるタイトルはなんと5万本以上。『ゼルダの伝説 Breath of the Wild』をはじめSwitchでしかプレイできない優れたゲームも存在するとはいえ、Steam DeckはSwitchの10倍以上のゲームに触れ、プレイすることが可能ということになる。

 なぜSteam DeckはSwitchの10倍ものライブラリを実現できたのか。それはいたってシンプル。Steam Deckは元々Valveが運営し続けたプラットフォーム、Steamにそのままアクセスできるからだ。Steamは2003年から展開し、今年で18年目。PCゲームでは圧倒的なシェアを有し、月間アクティブユーザーは1億2000万人を抱える。この圧倒的な歴史と規模を持つプラットフォームを、Steam Deckでは購入したその日にほぼ100%引き出せる上に、SteamユーザーはPCで購入したゲームをSteam Deckと共有することもできる(※)。

(※Steam Deckに初期で導入されるSteam OSはまだどれだけのゲームが動かせるか未知数だが、他社OSのインストールが可能なため、Windowsを導入すればほぼ全てのゲームにアクセスできると考えられている。)

 一方、Switchを始め、既存のコンシューマーゲームはハードを作ってからプラットフォームを1から築く(※)。故に、ハードとプラットフォームはお互い外せない両輪であり、だから赤字覚悟でハードを売り、莫大な費用をかけて独占タイトルを開発する。

 (※)厳密にはSwitchのダウンロード販売を行う「ニンテンドーeショップ」はニンテンドー3DS、WiiUタイトルも扱っているが、Switchではそれらにアクセスできない。

 このプラットフォームの違いは、ハードの購入を検討するユーザーにとってはゲームの選択肢の多寡に繋がるが、ハードを販売する企業にとってはもっと大きな違いがある。任天堂やSIEのようなゲーム企業にとって、ハードが売れなければプラットフォームも、そしてソフトも売れなくなるため、新ハードの開発はリスクを伴う。Switchは『あつまれ どうぶつの森』などヒット作に恵まれ、約8500万台も売り上げる成功を収めたが、前回のWiiUでは1300万台に留まり、株価は1万円台まで低迷する時期もあった。

 その点、ValveはSteam Deckが万が一期待通り売れなかったとしても、製造費は痛手にはなるが、少なくとも全世界で1億越えのユーザーを抱えるプラットフォーム、Steamから得る利益には全く影響しない。つまり、リスクが極めて少ないのだ。

 大手ゲーム企業にとっての新ハードとは一から地面を耕し、作物を植える文字通りの「開拓」だが、ValveにとってのSteam Deckは一度築いたプランテーションに新たな顧客を呼び込む「拡張」だ。初期費用に10万円以上かけ、家でじっくり腰を据えてプレイするPCゲーム文化を、経済的に余裕が生まれだした新興国の中産階級や、アウトドア志向のカジュアルゲーマーに向けて売り込むのが、Steam Deckの使命だろう。

 Steam Deckは確かに小型・安価・高性能と、任天堂やSIEの作るゲームハードに負けないポテンシャルを秘めている。ただし、何といってもSteamというPCゲームで育て上げた最大・最長のプラットフォームに即時アクセスできるのは、唯一無二のメリットだ。何より、売る側にとっての経営戦略、いや、経営哲学が本質的に異なる。そして、これは現状変化しつつあるゲーム文化、およびゲーム市場とも密接に関係している。

ゲーム業界の異端児、Valveの正体

 Steam DeckからうかがえるValveの聡い戦略は、PCゲーム文化があまり浸透しなかった日本国内からは見えづらい、Valveというゲーム業界のピカロ、異端の才能に裏付けられている。

Valve Corporation公式HPより

 Valveは1996年、ワシントン州のカークランドで設立。創立者のゲイブ・ニューウェルはハーバード大からマイクロソフトに入社し、13年あまりWindowsのプロデューサーを務めた鬼才。その彼を変えたのは、FPSの始祖鳥『DOOM』をMS-DOSからWindows 95に移植する業務に関わった時だった。

 すっかりゲームに魅入られたゲイブは、同僚のマイク・ハリントンと共に独立すると、2年後の1998年にFPS『Half-Life』を発表。『未知との遭遇』的SFスリラーを一貫した一人称視点で体験する完成度が評価され、1998年のうちに20万本も売れ、一躍Valveは時代の寵児となった。なお、後に『Half-Life』は930万本以上売れ、50以上のGame of the Yearを総なめにすると同時に、『Counter-Strike』や『Team Fortress』など現在まで親しまれるMODも輩出している。

Valveが1998年に発売し、一躍ヒットタイトルとなったFPS『Half-Life』

 ただ、この時Valveは大金と栄誉を得ると共に、大きな疑念もまた一つ抱く。それが海賊版の問題だ。当時、PCゲームのプロテクトは脆弱で、日本でも2004年にファイル共有ソフト「Winny」を巡って刑事事件に発展するなど、インターネットと著作権の問題は切実なものとなっていた。

 そこで2002年、Valveは「Steam」を発表する。当時、PCゲームに限らずゲームの流通は紙やプラスチックの箱にCD-ROM……、いわゆるリテール版が主流であり、これらのプロテクトを解くのはハッカーにとって朝飯前だった。Steamはそれに対し、インターネットを介してゲームを購入、データを直接ダウンロードすることで、ユーザーのアカウントごとにゲームを管理することで、デジタル著作権管理を容易にした。

2002年に発表され、いまや世界一のPCゲームプラットフォームとなったSteam

 もっともSteamのコンセプトは新しかったわけでない。1994年「Sega Channel(セガ)」、1995年の「サテラビュー(任天堂)」、より古いもので「GameLine(CVC)」も存在したが、ラインナップが貧弱、ダウンロードが遅い、ハードが高価など諸々の理由で普及しなかった。

 一方、「Steam」は自分たちの大作『Half-Life 2』『Counter- Strike: Source』は無論のこと、数多のサードパーティを抱え込んだ上に、個人開発者にも門戸を広げ『Braid』や『World of Goo』など後に「インディーゲーム」と呼ばれる文化を作り上げた。またダウンロードのスピードも、米最大手のAT&Tと提携して克服。やがては日本を含む世界中にゲームを供給するネットワークを作り、アメリカのゲームを発売日に日本で買うなんてことも可能になった。

関連記事