ゲームが国の“公共インフラ”に? 東南アジアで大人気のバトロワゲーム『Free Fire』とは

ゲームが国の“公共インフラ”に? 東南アジアで大人気のバトロワゲーム『Free Fire』とは

 かつて、日本では『バトルロワイアル』という映画が話題になった。

 「残酷な内容」ということで国会でも議論になったが、この『バトルロワイアル』の内容は映画よりもむしろゲームに向いている。数十人が最後の一人になるまでバトルを繰り広げる。オンラインゲームの仕組みとこれほど合致した内容は他にないだろう。

 日本でも『荒野行動』や『PUBG』、『Fortnite』が大人気だ。だが世界的な視点で見ると、シンガポールのGarenaが配信する『Free Fire』が多大なダウンロード数を獲得している。

 この『Free Fire』は、東南アジアや中南米各国では公共インフラと表現してもいいほどの役割を果たしている。「いくら何でもゲームを“公共インフラ”と呼ぶとは」という声もあるかもしれないが、インターネットの整備が通信インフラ事業の一環である以上、それを普及させるためのキラーコンテンツも加味して考察しなければならない。

ローエンド機種が主流の新興国

 『Free Fire』は、他の同ジャンルのタイトルに比べて「低スペックのデバイスでも快適に動作する」という特徴がある。

 この記事では、日本は世界でも経済的に豊かな国であり、日本人の所有しているスマホは比較的高スペックであることを読者のみなさんに認識していただきたい。

 最低法定賃金が日本円で3万円程度の国では、AppleのiPhoneは長期ローンを組んで買うか、中古市場で入手するものである。もちろんアッパークラスの人々は例外だが、ごく一般的なワーキングクラスの市民にとってのiPhoneとは贅沢品以外の何物でもない。それはサムスンのハイエンド機種も同様だ。

 だからこそ、新興国のワーキングクラスの人々は日本円で1万円強の機種を選ばざるを得ない。米ドルでは100ドル前後だ。いわゆるローエンド機種だが、実はUber Eatsを呼んだり天気予報や災害情報を見たりSNSを使うくらいであれば低価格の機種でも難なくこなせる。激しい動きのあるオンラインゲームをしようと思わなければ、ローエンド機でも十分だ。

 ではなぜ、敢えて「ローエンド機でバトロワゲームをやろう」という発想に至るのか? そこにどのような価値があるのか?

ゲームは「教育ツール」

 1984年生まれの筆者は、小学生の頃にはファミコンとスーパーファミコンで遊んでいた。

 幸い、筆者は日本という国で生まれたからこうしたコンピューターゲームに興じることができた。それは筆者に様々なデジタル概念を植え付け、今現在の職業にもつながっている。

 たとえば、「セーブとロードの概念」は間違いなくファミコンから学んだものだ。

 筆者は市民向けのキャッシュレス決済講座を静岡市の施設で開催しているが、ある年代より上の人は「セーブとロード」の意味すら知らない……という場合が少なくない。また、その意味を説明しても「それが実生活にどう影響するんだ?」という疑問を持たれてしまう。筆者の世代は、ゲームのプレイ記録をセーブして後日ロードするということをいつの間にか学んでいるが、もしかしたらそうでない人のほうが多いのかもしれない。

 ゲームというものは、コンピューターの必要性やその知識、概念を吸収する上で最も手っ取り早い手段なのだ。家庭用ゲーム機に触れる機会のなかった人々に向けてゲームを配信するのは、一種の公共事業とも言える。

 さらに、現代ではコンピューターゲーム自体が競技化されている。インドネシア・ジャカルタで2018年に開催されたアジア大会では、エキジビション種目ながらもeスポーツが実施された。国際大会で入賞できるプレイヤーは出身国政府の目に留まり、成績次第で年金が支給されることすらある。同時に、新しい才能の発掘にも資金と労力が割かれるようになった。

 ゲームとは教育ツールであり、スポーツなのだ。

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