『The VOCALOID Collection -2020 winter-』特集(Vol.3)

ryo(supercell)×落合陽一が語り合う「ボーカロイドとクロス・ダイバーシティ」

対談を終えて/ryoのアフタートーク


――対談を終えた感想を聞かせてください。

ryo:3年くらい前に知ってから、落合さんという存在はまったくブレていなくて、素晴らしいと思いました。ミュージシャンで同じことを感じる人はこれまで会ったことがないし、「自分を消す」という方向性をこういうふうに理解してくれる人はいなくて。そういう話をしたいと思った相手が、ボカロPではなく落合さんだったんですよね。気づかないくらいに、どうしようもないくらいに心を病んでしまっている人ほど、ボカロを使って音楽というもので自分を救済してほしい、と思うんですが、いまはそういうマインドを持ってボカロに触る人は少ないと思うので、別の視点からボカロというものを推進していけたら、もっと救われる人も多いだろうと思っています。

――シーンの最初期にあった熱量を取り戻すというか。

ryo:そうですね。いま、ボーカロイドで楽曲を作り、投稿するということは、個人のアイデンティティーを表現して、商品にするための手段になっている部分がありますが、2007年当時は――言葉は悪いかもしれませんが、ボカロを使った表現はもっと“窓から投げ捨てる”ようなものだった。そもそも初音ミクにそういう要素があるように、フリー素材として面白がってもらうというか。動画に流れるコメントはカオスでひどい言葉も並んだけれど、それを許容するプラットフォームのおおらかさにも救われていました(笑)。自分はYouTubeも好きでよく見ますが、それとはまた違い、 カオスのなかで“陰キャラ”も包摂されていたというか。

 最近でいうとVTuberもそうかもしれませんが、自分という「個」を消失させて好きな表現ができるボーカロイドというテクノロジーは、やっぱり自分にとって「クロス・ダイバーシティ」なんです。落合さんが推進しているこのプロジェクトでは、例えば、乙武洋匡さんがロボット義足技術を使って「人機一体による身体的・能力的困難の超克」を目指したチャレンジを続けられている。同様にボカロは、「個」につきまとう人生の悩みを克服させてくれるもので。それも、“闇”が大きいほどエンターテインメントとして昇華されるという、面白い構造があったと思います。

 ボーカロイドを使った楽曲制作は、誰にもできる。ただ、そうは言っても「初音ミクを買えば曲ができる」というわけではなく、実際に触ってみて挫折する人も多いと思います。だから、落合さんとお話しさせていただいたように、製作者自身の声を使って、もっと簡単に歌声が作れる仕組みができたら、広く音声合成による音楽というシーンはより盛り上がるかもしれないと思うんです。それを発表するときに、当時のニコニコ動画のように、カオスで何でも許される場所があるといいのですが、それは時代的になかなか難しくなっているかもしれませんね。そういうプラットフォームは、“賢い”大人が知恵を絞るだけでは生まれないものだと思います。

――「フリー素材」という言葉がありましたが、ryoさんは今回の「The VOCALOID Collection ~2020 Winter~」に「メルト 」と「ブラック★ロックシューター」と「ワールドイズマイン」いう3曲のStemデータを提供されました。

ryo:ニコニコ動画は自分にとって親みたいなもので、常々恩返しをしなければと思っているので、求められれば何でもしたい、という気持ちがあって。いま売れているボカロPこそ、感謝しなければいけないと思います。Stemデータはハイレゾで、素に一番近い状態のものなので、自由に使ってもらえれば、という気持ちでした。

 落合さんは「カウンターカルチャーとサブカルチャーは違う」と言われていますが、ニコ動はカウンターじゃないんですよね。つまり、メインをひっくり返す、という野心を持っている人はニコ動的ではなくて、むしろくだらなさを競いながら、“才能の無駄遣い”をするのが面白いところで。「The VOCALOID Collection」をきっかけに、そういう作品に出会えたらうれしいですね。

■イベント情報
『The VOCALOID Collection -2020 winter- 』
https://vocaloid-collection.jp/

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