『mora qualitas』

後藤正文に訊く“ハイレゾストリーミングが音楽家に与える影響”「ちゃんと普及すれば、確実に何かが変わる」

 海外では『TIDAL』や『Qobuz』、日本では『Amazon Music HD』などハイレゾ対応のストリーミング音楽配信がいよいよ本格的な盛り上がりを見せている。そんななか、昨年ソニー・ミュージックエンタテインメントがスタートした『mora qualitas(モーラ クオリタス)』のモバイル版アプリが今年2月、一般向けにサービスを開始。これによりパソコンだけでなく、タブレットやスマートフォンでも高音質ストリーミングが楽しめるようになる。

 『mora』は「アーティストが楽曲に込めたものをありのままにお届けしたい」という理念のもと、2013年よりハイレゾ音源のダウンロードサービスを始めるなど、国内でも先んじて音源の高音質化に取り組んできた。インフラの発展・発達により、ハイレゾをユーザーがもっと身近に感じられるようになった今、作り手の意識はどのように変化していくのだろうか。

 今回リアルサウンドでは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのヴォーカル&ギター・後藤正文に『mora qualitas』によるハイレゾ音源を視聴してもらいながら、普段のリスニング・スタイルやハイレゾに対する見解、さらには約3年ぶりとなるソロ名義での作品『Nothing But Love/You』について、たっぷりと語ってもらった。(黒田隆憲)

Gotchがミックス・エンジニアリングに取り組み始めた理由

ーー後藤さんは、普段どんなふうに音楽を楽しんでいますか?

後藤:いくつかパターンがありますね。一つは自分の作業場である「Cold Brain Studio」に設置された、ベアフッドのモニタースピーカーで聴くパターン。スタジオではCDやカセットテープ、レコード、ストリーミングなど全てのメディアをリスニングできるのですが、オーディオ的には“脂っこい”部分を取り除いた本当にフラットなサウンドで聴くことになる。作業場なので「楽しんで聴く」のとは少し違いますよね(笑)。

ーー音の細かいところまで、マニアックに聴き込むには最適かもしれないけど(笑)。

後藤:そうなんです。昨今のR&Bや、ビリー・アイリッシュの低音などもよく聴こえるし、「あ、ここはこんなふうに作られているんだ」みたいな聴き方には向いている。まあ、どうしても「仕事の耳」になってしまいますよね。

 もう一つは自宅で聴くパターン。家のリスニング環境は、スタジオと比べるともう少しリラックスして聴けるようにしてあって。愛用しているフォステックスのヘッドホンは、どちらかというとフラットなタイプですが、これでストリーミングを聴くなどしています。自宅にもレコードプレーヤーが置いてあるのですが、鳴らすスピーカー自体はそんなに高級なものじゃなくて。昔、Kickstarterでスピーカーを作るプロジェクトを見つけて、そこにお金を出して作ったものです。ラジカセくらいの大きさのスピーカーだけど、ウーハーも付いているからローの調整もできる。あまり大きい音を出さずに楽しく聴く分には充分なんです。

ーー音質などあまり細かいところを気にせず、音楽を楽しめる環境というか。

後藤:はい。特にレコードを聴くときは、仕事耳にならないようにしたくて。100点満点のスピーカーじゃない方が、個人的にはリラックスできるんですよね。

ーー移動中に音楽を聴くこともありますか?

後藤:モバイルで聴くのはやめました。電車やバスに乗っていると、騒音やエンジンの音でどうしても低域がマスキングされちゃうし。ノイズキャンセリングも僕はちょっと合わないんですよね。なので、音楽を聴く時にはちゃんとそのための場所へ行って聴くようにしていますね。

ーー聴く環境によって、こだわる部分も変わってくるわけですね。

後藤:作業場ではどうしても仕事の耳になってしまいますが、それでも心が持っていかれる作品もあります。レディオヘッドの『In Rainbows』とか聴くと、サウンドデザインの見事さに感動する。「そうか、ここにかかっているリヴァーブは、こっちに逃しているのか」とか、そういう部分まで「聴こえる」からこそ理解できることもあるわけで。「ナイジェル・ゴッドリッチすげえな」って(笑)。

ーーハイレゾに関しては、後藤さんはどんな見解をお持ちですか?

後藤:例えば普通のストリーミングを聴いても、音質は「悪くはない」けれど、100点満点ではないですよね。どのくらいリダクションされているかはエンジニアなら分かると思うんですけど、スタジオで聴いた音に比べるとスカスカになってしまう。解像度の悪い写真を見ている感じというか。そこに何が写っているかを想像で補うことはできるけど、実際には見えていないような。それがハイレゾで聴くと、細かい音の端々まだしっかり聴こえるわけですから、聴き手もそうですけど作り手としても嬉しいですよね。『In Rainbows』とか、ハイレゾで聴けるなら聴いてみたいです。

ーー後藤さんの中で、ナイジェル・ゴッドリッチのサウンド・デザインは本当に衝撃的だったんですね。

後藤:2000年代の半ばくらいから、すでにスーパーローを取り入れている音源は存在していたのに、モニタリング環境を整えるまで自分は気づけなくて。『In Rainbows』は2007年の作品ですが、『KID A』以降いかにレディオヘッドが先鋭的なバンドだったか、今になって本当によく分かります。しかも昨今のビリー・アイリッシュやドレイクなどの低音と違って、レディオヘッドの場合は生のドラムだし、生のベースだったというね(笑)。時代的にも、今のように簡単にスーパーローを出せなかったと思うし。そういう意味では、音像全体の「デザイン」で作り上げている感じはある。もちろん、今の話は僕の想像の範囲内ですけど、いつ聴いてもアーティスティックだなと思います。

 

ーー他に、後藤さんがハイレゾで聴いてみたい作品というと?

後藤:アラバマ・シェイクスのセカンド・アルバム『Sound & Color』とかね。生々しい楽器のニュアンスも入っているし、そういうのをハイレゾで聴くのはきっと楽しいと思う。声とか、目の前で歌っているように聴こえるんじゃないかな。ハイレゾって要するに「解像度が高い」ということだと思うので、ある程度、モニタリング環境を整えないと、ブラインド・テストしたら僕らでも当てられないかも知れないですけどね。安価なイヤホンとかで聴いてもなかなか違いがわからないだろうし、録られた環境もあるだろうから。

ーー確かにそうですね。

後藤:以前、200万円くらいするMacintoshのオーディオシステムで、僕が若い頃に買ったニルヴァーナの『MTV Unplugged in New York』(1994年)を聴いたことがあるんですけど、メチャメチャ音が悪くて。解像度が上がり過ぎて、ダメなところも引き出されてしまって地獄みたいだった(笑)。続けてウィルコの『Kicking Television: Live in Chicago』(2005年)を聴いたら、こちらはものすごく良かった。「やっぱり〈Nonesuch Records〉だよな」って話していたんですよね。

ーーきっと、作品の録音状態とメディアには相性の良し悪しがあるんでしょうね。

後藤:そう、一概には言えない。もちろん、ハイレゾに触れる機会が増えること自体はとても良いことだとは思いますけどね。リスナーの環境は、どんどん良くなってきている。良いヘッドホンやイヤホンが、比較的手頃な価格で買えるようにもなってきましたし。環境だけでなく若いリスナーの「感覚」も進化していて、僕らの世代よりも敏感に音を聴き取っていますよね。そういう人たちに向けて、全力で作ろうとは常に考えています。なので、ミックスダウンの最終チェック段階で、ラジカセのスピーカーを使うのあんまり好きじゃないんですよ。もちろん、そういう小さいスピーカーだからこそ分かるミックスバランスをチェックするわけだから、意味のない行為だとは思わないけど、それを「こんなもんでいいか」みたいな、妥協のために使って欲しくないと思うんですよね。

ーーでは、今回リリースされる後藤さんの“Gotch”名義の新作『Nothing But Love/You』についてもお聞かせください。

後藤:ソロ作品って、そのために時間を裂くのはなかなか難しくて。「作りたい」欲求だけは常々あるんですけどね。でもそろそろアルバムを作りたいというか、前作『Good New Time』からもう4年も経ちますし(笑)。その作業の一環としてまずはシングルを切ることにしました。

ーー音響的にこだわったポイントは?

後藤:次のアルバムでは全ての楽曲を自分でミックスまでしようと決めていて。常々ミックス・エンジニアリングの仕事もしたいと思っていたんですけど、だったらまずは自分の作品から手掛けてみようかと。「こういう仕事ができます」という名刺の代わりにもなりますしね(笑)。ワンオペでやるのはメチャメチャ大変でしたが、やってみてとても勉強になりました。今後、エンジニアとの作業もより密度の濃いものになっていくと思う。「そのマイクより、こっち使いませんか?」みたいなことも言いやすくなりますし……今まで以上にウザいやつになりそう。「あいつ、余計なこと覚えたぞ」みたいな(笑)。

ーー(笑)。でもきっと、その方がエンジニアとコミュニケーションも取りやすいでしょうね。

後藤:そう思います。それに、海外だとエンジニア上がりのプロデューサーは結構多くて。エンジニアリングにも詳しくないと、プロデューサーとしての仕事にも幅が出ないなと。僕はアレンジャータイプのプロデューサーではないので、ここを突き詰めないと居場所がなくなるなと切実に思います。

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