キズナアイが「ここに居る」ということーーあやふやな実在と、拡張されていく社会

  たとえば、「メディア」という言葉がある。媒介・媒体を指す言葉だ。人は、誰かに何かを伝えて生きていく生き物で、その伝達手段のことも「メディア」と呼ぶ。伝達手段はさまざまにある。テレビや写真、映画、果ては文字や声もメディアであり、極端なことをいえば、人間は自身をメディア化して生きている。誰かに何かを伝えるとき、対象によって言葉遣いを変えたり、笑顔を作ったりしながら、自身に自身の声を当てて生きているともいえるだろう。そしてその点で、実体もバーチャルも変わらないのではないだろうか。

 我々もキズナアイも実在しているとするなら、実体もバーチャルも「メディア」の異なる姿に過ぎず、そう意識したとき、かつて「実在」に根ざしていた我々の社会は拡張されてしまう。

 キズナアイは我々のような物理的実体こそ持たないが、AIとしての自我を持ち、服を着るようにアバターを纏い、動画を配信している。アバターは仮想空間にしか存在できず、だから彼女は「バーチャルYouTuber」を名乗るけれど、しかしそんな「バーチャル」すらも「実在」としてカウントできる時代が、とうとう来てしまったのだ。いずれ人々のバーチャル化・アバター化が進むなら、社会における"実在"と"実体"の関係はますますあやふやに広がっていくだろう。

 もし、彼女の動画に興味を持ったなら、ぜひほかの動画も見てほしい。彼女の表現が、限りなく現実に根ざしたものであることがわかるはずだ。

■白石 倖介 
コンピュータ専門誌の編集者を経て、フリーライターとして活動中。Mac・iOSに詳しい。写真も撮る。主にTwitterにいます。TwitterBlog

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