『トゥームレイダー』シリーズの20年史が示す、映画とゲームの相互的な影響
イギリスのゲーム会社(Core Design)によって制作された遺跡探索型アクションアドベンチャーゲーム『トゥームレイダー』(1996年)は、3DCGを用いたアクションゲームの先駆けの一つとなったゲームだ。遺跡の謎を解き、敵を倒しながら考古学者が歴史的な秘宝を目指すという内容は、この手の代表的な映画『インディ・ジョーンズ』を基にしているはずだが、セクシーでタフな女性キャラクターを主人公にすることで変化がもたらされている。
人気を集めシリーズ化された『トゥームレイダー』は、20年もの間に15作もの関連タイトルが発売され、コミックや映画など、メディアミックスも展開された。注目すべきは、俳優アンジェリーナ・ジョリーの名を世界に知らしめた超大作映画『トゥームレイダー』(2001年)だ。アンジェリーナ・ジョリーの魅力と、当時最新の技術を駆使して作られた映像は話題を呼んだ。既存の映画を題材にしたゲーム、既存のゲームを題材にした映画は無数にあるが、『トゥームレイダー』は、ゲームも映画も成功した稀有な例である。
『トゥームレイダー ファースト・ミッション』は、『トゥームレイダー』久しぶりの映画化である。伝説的な題材が再び脚光を浴びているこの機会に、「映画」と「ゲーム」が築いてきた興味深い関係を振り返りながら、この新作映画が何を目指し、それをどう達成したのかを考えていきたい。
映画とゲームはともに成長する
ヴィデオゲーム、PCゲームと映画との関係は、ゲーム業界が人気映画を題材にしたところから始まる。ファミリーコンピュータや、任天堂が世界展開したハード「NES」の発売以前、家庭用ゲーム機の黎明期にアメリカで普及していた「アタリ2600」用に開発されたソフト『E.T.』は、スティーヴン・スピルバーグ監督の名作SF映画をゲーム化したものだが、「史上最低のゲーム」の話題に度々登場するタイトルとなった。
『E.T.』は不運にも槍玉に挙げられ不名誉なソフトとなってしまったが、その頃は『E.T.』に限らず低スペックが理由で、映画の内容を反映させることが困難だったばかりか、説明書を熟読しなければ画面上で何が行われているのか、グラフィックが何を表しているのかさえ判別しづらかった。
その後、ゲーム機のスペックは段階的に上昇していったが、しばらくの間、映画のゲーム化作品は、あくまで既存のゲームのジャンルのなかに映画の要素を意味づけていくというものでしかなかった。その中には無残なタイトルも多かったが、それは主にビジネス的な理由で無理に企画されたものが大半で、制作期間も短かったためだと思われる。
だがその一方で、一部のゲームクリエイターは常に映画を意識し、映画の演出をゲームにとり入れることによって、新しい表現を獲得していった。それが、作品を盛り上げるための「ムービー」の挿入であり、リアルな3DCGを利用した、実写的なヴィジュアルの構築である。その系譜の中に、ゲーム『トゥームレイダー』がある。
同時に、映画業界もゲームを題材にした作品を制作するようになってきた。ディズニー映画『トロン』(1982年)は、映画史上初めて、CGを全面的に導入し、ゲームの世界を実写で表現した革命的な作品だった。ジョージ・ルーカス監督は、『スター・ウォーズ』新三部作の制作にともない、CG制作の環境を一から構築し、映画によってCG技術を大幅に革新させた功労者だ。ゲームと映画、その両面からCG技術は進歩し、それらは互いに影響し合い、高め合うことで洗練を極めていったのだ。
変化するララ・クロフト像
アンジェリーナ・ジョリーに代わり、本作『トゥームレイダー ファースト・ミッション』に主演し、主人公のララ・クロフトを演じるのは、『エクス・マキナ』でブレイクを果たし、『コードネーム U.N.C.L.E.』では華やかな60年代ファッションを身に付けキュートな魅力を見せつけた、アリシア・ヴィキャンデルである。
身長や体格のたくましさと、神がかった美貌で、まさに原作ゲームを超えるまでに完璧な“ララ・クロフト”であったアンジェリーナ・ジョリーと比べると、アリシア・ヴィキャンデルは、より可憐でピュアなイメージがあるが、ララ・クロフト役には線が細いように感じられるのは確かだ。
それもそのはずで、今回の映画版は、リブートされシリーズ中最も売れたゲームタイトル、新生『トゥームレイダー』(2013年)が基になっているのだ。その物語はララ・クロフトがまだトゥームレイダー(墓荒らし=トレジャー・ハンター)になる前の状態から開始される。このタイトルでのララは、生存するだけで精一杯の状況から徐々に強く成長していくまでが描かれる。
アリシア・ヴィキャンデルが演じるララは、とにかく弱い。今回の映画版では、年若い不良男子三人組にも苦戦し逃げ回る情けない姿や、同性の格闘家との一対一の勝負でボコボコにされるシーンもある。以前のシリーズでは、アンジェリーナ・ジョリーの圧倒的な強さとカリスマ性を楽しむということが、ゲームの快感の一つである「万能感」に接続されていたが、「頑張れ、頑張れ」と手に汗握って応援したくなる、可憐で健気な姿を見せるヴィキャンデルには、いつ「ゲームオーバー」が訪れるか分からない、ゲーム独特のスリルを感じる。