『ブラッサム』石橋静河の鋭敏な身体感覚 話題のオープニングダンスと“書く姿”から考える
現在放送中のNHK連続テレビ小説『ブラッサム』。幼少期の葉野珠(村上蘭)と父・清治(渡部篤郎)の微妙な距離感を描いた第1週を経て、今週はついに石橋静河が登場した。
もともとダンサーとして活動していた石橋は、2016年に『少女』で映画デビューを果たすと、翌年には『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』で主演を務める。以降も三宅唱、瀬々敬久、 岨手由貴子、工藤梨穂といった実力派監督たちに起用され続け、堅実なキャリアを歩んできた。
低く艶っぽい声、相反する感情を一つの顔に同居させてしまいうる確かな演技力、遠くを見つめているだけで様になるアンニュイな佇まい。作り手たちを惹きつける石橋の魅力を一つの言葉に集約することは、正直難しい。しかし、彼女の強みのひとつにダンスで培った鋭敏な身体感覚があるのは間違いないだろう。
歩きながら少し両手を大きく広げてみる、喋りながら急に体を旋回させてみせる。そうした細やかな身体の動きが石橋は抜群にうまい。俳優は監督や演出家の指示に従って動くため、これから自分が何を喋り、どのように動くのかを知っている。しかし、日常生活において人は自分の体が次の瞬間にどう動くのかをほとんど意識していない。演技というものの根本的な難しさはここにある。これから自分が何をするのかを知っていながらも、知らないふりをしなければならない。相手の言葉を聞き終わる前に驚く準備ができてしまう。振り向く前に、振り向くための重心移動が始まってしまう。そうした動きから、次に何が起きるかを俳優が知っていることが透けて見えると、芝居は途端にただの段取りと化す。
それゆえ、キャラクターに厚みをもたらす自然な演技には、頭で考えるのではなく、体が刺激に対して瞬発的に動き出してしまうような感覚が必要とされる。石橋はおそらくそのような感覚をダンスの経験を通じて、あらかじめ持っていたのだろう。彼女が複数の作品でしばしば見せるクルッと一回転する動きは、バレエ由来の「癖」であることを本人が認めており、女優としての活動を始めたばかりの頃は、その「癖」を「邪魔」だとも感じていたようだ。
だが、『きみの鳥はうたえる』(2018年)の監督・三宅唱がそれを面白がってくれたと彼女が述懐するように(※1)、そうした身体的な癖はむしろキャラクターの存在感に説得力をもたらす上で重要な役割を果たしている。『きみの鳥はうたえる』は「僕」(柄本佑)に告白された佐知子=石橋の曖昧な表情で幕を閉じる。その表情の素晴らしさもさることながら、石橋はこのとき一度、手を無造作に頭にやり、ぶっきらぼうに振り下ろしてみせる。当惑、喜び、不安が入り乱れる複雑な感情を、彼女の手の動きは顔以上に雄弁に表現している。
『ブラッサム』で石橋が挑むのは、小説家・宇野千代をモデルとした葉野珠。役を演じるにあたって、石橋は書道指導とともに自身の字と宇野の字の真ん中を目指すよう訓練した。そのプロセスを通じて、「『書くことは身体的なんだな』と思ったら、千代さんにコネクトできる」と感じたそうだ(※2)。
みずからの身体性を軸に演技を組み立てる石橋らしい発言だが、座ってデスクに向かって執筆するというアクションは、なにかしらの工夫をしなければ、映像単体としてはとても地味なものになってしまいかねない。石橋が宇野の字を模倣することで獲得した身体性を輝かせるためには、適切な演出プランを用意する必要がある。