北村匠海×内山拓也『しびれ』が映す孤立と愛の模索 声なき青年の眼差しが突きつけるもの

北村匠海主演『しびれ』が映す孤立と愛の模索

 さらに、本作が大地の人生を幼少期から少年期、そして青年期の現在へと時間を進めながら描いていくことも重要だろう。この構成から思い出されるのが、バリー・ジェンキンス監督の『ムーンライト』(2016年)である。同作では、一人の人物の人生を幼少期、少年期、成人期という3つの時間に分け、それぞれ異なる時期の姿を通して、やはり主観的に、その人物がどのように生きてきたのかを見つめていく。

 ここまで大地の姿を追ってくると、ある奇妙な関係が見えてくる。それは、本来ならば誰かに支えてもらうはずの人間が、逆に別の誰かを支える側へと回ってしまうということだ。幼い大地は、本来なら親からケアされるべき存在だった。ところが、実際には自分で食べるものを手に入れ、料理を作り、母親にも食事を与えている。子どもが親に守られるという、ごく当たり前の関係が、ここでは逆転しているのである。『ムーンライト』でもそうだったように、最も弱い大地のような存在をケアしてくれるのは、決して強者ではない他人の善意だけだった。

 こうして見ると、本作『しびれ』では、ケアされるべき人間が、別の誰かをケアするという関係が繰り返されていることが分かる。大地もイワンも、本来ならば誰かに支えられていてもおかしくない境遇だ。ところが彼らは、不安定な場所に立ちながら、他者を支える側へと回っていくのである。そうした構図から、弱者たちによる自助、共助しか機能しない局面が日本社会にはあるということを、観客は末端の視点から見ることになる。

 宮沢りえが演じる大地の母親は、酒に溺れて重い病に倒れていく。大地が子どもの頃に必要としていた親としての役割を果たしていたとは言い難い母親である。ところが大地が成長し、再び母親のもとへ戻ってくると、その印象は大きく変わってくる。大人になった大地に後悔の念を吐露する彼女の態度に、むしろ戸惑いをおぼえる観客もいるかもしれない。

 だがここに、本作が描く親子関係のやっかいさがあるのではないだろうか。大地にとって母親は、憎しみを抱く存在である一方で、必死に愛情を求めた相手でもある。どれほど傷つけられたとしても、幼い頃からつながってきた関係そのものを、簡単に切り捨てることはできない。そして弱った姿を目の当たりにして、何とかしたいと思ってしまう。

 本作が興味深いのは、大地と父親との関係も含めて、「許せるか、許せないか」という二択だけでは、この問題を捉えきれないところにある。親の態度が変わったとしても、子どもの頃の大地が抱いた苦しみは残っている。しかしその苦しみだけを見つめてしまえば、そこにあったはずの愛情まで見えなくなってしまうのかもしれない。大地の感情は、親が嫌いだったという認識と、それでもそこに一片の愛情が存在していたという希望、その両極で揺れ動いているのである。

 そして、“愛されている”、“必要とされている”という実感や、そういう経験があったという事実が、生きる上でどれだけ個人にとって重要なのかということに思いを馳せざるを得なくなる。それがあるだけで、人は困難に立ち向かう力を得ることができるのではないか。

 本作『しびれ』が描くのは、過去を乗り越えて新しい人生へ踏み出す、強い姿ではない。むしろ、傷つけられてなお他者とのつながりのなかで生きていかざるを得ない、人間の弱さである。そして人間が弱いからこそ、互いに優しさを与え合わなくては生きていけない。本作はそんな過酷な真実を、現実に翻弄される弱い人々の目線で観客に体験させる映画の一つなのである。

■公開情報
『しびれ』
TOHOシネマズ シャンテほかにて公開中
出演:北村匠海、宮沢りえ、榎本司、加藤庵次、穐本陽月、奥野瑛太、赤堀雅秋、赤間麻里子、永瀬正敏
監督・原案・脚本:内山拓也
企画・制作:カラーバード
製作幹事・制作プロダクション:RIKIプロジェクト
配給:NAKACHIKA
©2025「しびれ」製作委員会
公式サイト:https://shibire.jp/

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる