清水崇版『八つ墓村』は「金田一ではない」のか? 尾上松也が体現したより現代的な人間像

日本のミステリー小説の巨匠、横溝正史といえば、言わずと知れた名探偵“金田一耕助”が活躍する探偵小説が代表作品だ。そのなかでも人気を集めるのが、『八つ墓村』である。この一作だけでも、映画、TVドラマによる映像化作品は両手に余るほどある。
そんな『八つ墓村』が、日本のホラー映画界の旗手・清水崇監督によって、新たに映画化された。驚かされるのは、清水監督のテイストが存分に活かされたバランスになっているということだ。つまり、推理よりも怪奇的な内容が優先された映画になっているのである。
非常に面白いアプローチだが、公開が始まってから、その反応は賛否が分かれ、SNSでは否定する意見も目立っている。代表的なところといえば、「これではミステリーではなくホラーになっている」というものだ。しかし、原作小説や歴代の『八つ墓村』映像化作品を振り返ると、そこには誤解もあるようだ。ここでは、本作、清水崇版『八つ墓村』の内容を振り返りながら、そうした意見が妥当かどうかを解説していきたい。
清水崇監督の人気シリーズといえば、『呪怨』シリーズ、『ミンナのウタ』シリーズ、そして呪いや因習に包まれた村を題材にした「恐怖の村」シリーズがある。もちろん公的にアナウンスされているわけではないが、因習が存在する村を舞台にした『八つ墓村』もまた、「恐怖の村」シリーズにカウントしようと思えばできなくもない内容だといえる。
そこが、今回の企画の“妙”だといえるだろう。本作は明らかに、ミステリー大作としての金田一耕助シリーズを本格的に志向したものではない。なぜなら、清水監督得意のホラー演出が随所に見られ、主人公である金田一耕助自身が、巻き起こる怪異に対して「私の手に負えない」とまで言ってしまうのである。だが一方で、この映画がホラー映画とも、「恐怖の村」だと明示してもいない。それでも金田一耕助シリーズとしての顔を保とうとしているのである。
留意しなければならないのは、では他の『八つ墓村』映像化版が、果たして原作に忠実なものだったのかどうかという点だ。清水崇版の本作を鑑賞すると、たしかに「これは金田一ではない」と言いたくなる気持ちは理解できる。しかし、これまでの多くの映像化作品もまた、原作に忠実かというと、そうではない。原作にとって重要な設定が改変されていることが常態化してきたのである。
映画作品においては、劇中のセリフ「祟りじゃーっ!」が流行した、1977年の野村芳太郎版が有名であり、『犬神家の一族』(1976年)をはじめ、金田一シリーズを立て続けにヒットさせてきた市川崑監督が満を持して撮った、1996年版『八つ墓村』もよく知られている。だがそれらも、監督の作風や脚本上の判断によって、大胆な内容変更がおこなわれている。






















