『急に具合が悪くなる』が描いた綺麗事がなぜ刺さるのか “不可能”へ抗う者たちの悪あがき
実際、中盤の社会課題について長々と語り合うさまは、まるでどこかの講義ビデオか、あるいは2人のポッドキャストを聴いているかのように錯覚する瞬間もある。しかし、どうしてだろうか。この2人の会話劇は、異常に面白い。
その理由のひとつは、見事な「言語の使い方」にある。国籍の違う2人によって生まれる独特の空気感や距離感を、言語の壁を通じて巧みに表現している。単なる意思疎通のツールとして各々の母語を扱うのではなく、魂で響き合い、心が深く繋がった瞬間には、フランス語と日本語が自然と混じり合う様が描かれ、たまらなく美しかった。
不可能を可能にする泥臭い“悪あがき”
映画の中盤で、マリー=ルーが真理に向けて放ったセリフがある。
「不可能が可能であることを見せつけられて、苦しくなりました。ただ自分が、足りないだけだと思って。本当に、不可能なことは可能だと思いますか?」
それに対する真理の返答はこうだ。
「不可能なものは不可能です。でも、可能になるまでは、です」
この言葉こそが、本作のすべてであり背骨である。この映画の真の凄みは、綺麗事や粗、そして矛盾をすべて呑み込んだ上で、一貫して泥臭い「悪あがき」を描き切っている点にこそあるのだ。この対話を経て、現実という巨大な壁にぶつかりながらも、彼女たちは決して歩みを止めない。時間にしてはごく僅かかもしれないが、互いの言語と感情を交わし、魂を共鳴させながら、最後まで「悪あがき」し続けるのだ。
そして終盤、マリー=ルーと真理が抱える2つの課題が交錯し、ひとつの答えに至る最後のシーケンス。あれはまさに、言葉の通り「不可能が可能になった」瞬間だった。舞台を観る者と表現する者、介護する者とされる者。そしてスクリーンを観る者とスクリーンの中。あの終盤の奇跡のような時間には、そのすべての垣根を超える瞬間があった。私たちが映画の世界に没入するという次元を超え、映画と私たちの境界線そのものが消え去り、完全に地続きになる瞬間。あの途方もなく美しい光景を提示するための、濃密な3時間だったのだと腑に落ちたとき、4時間でも5時間でもこの世界に浸っていたいとすら思えた。
本作が提示する理想は、あまりにも綺麗すぎて、現実離れしたファンタジーのようにすら思える。このどうしようもなく醜い世界で、そんな理想が叶うはずがないと。しかし、不可能かもしれない、現実的じゃないと分かった上で、それでもこの歪な社会へ抗うための「小さな悪あがき」の一歩を、濱口監督は極めて真摯に描き出そうとしたのではないか、とも思った。映画監督として、表現者として、本気で世界を変えようとしているのではないか。そう思えるほどの鳥肌ものの熱量が映像には焼き付いていた。
この果てしなく欲張りで美しい、命を賭した「悪あがき」を、ぜひ劇場という空間で、体力を万全にして受け止めてもらいたい。
■公開情報
『急に具合が悪くなる』
全国公開中
出演:ヴィルジニー・エフィラ、岡本多緒、長塚京三、黒崎煌代
監督・脚本:濱口竜介
原作:宮野真生子・磯野真穂著『急に具合が悪くなる』(晶文社)
提供:「All of a Sudden」JPN Partners
配給:ビターズ・エンド
製作:Cinefrance Studios、オフィス・シロウズ、ビターズ・エンド、Heimat Film、Tarantula
フランス=日本=ドイツ=ベルギー合作
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