『急に具合が悪くなる』が描いた綺麗事がなぜ刺さるのか “不可能”へ抗う者たちの悪あがき

 リアルサウンド映画部の編集スタッフが週替りでお届けする「週末映画館でこれ観よう!」。毎週末にオススメ映画・特集上映をご紹介。今週は、急にお腹が痛くなりがちな玉置が『急に具合が悪くなる』をプッシュします。 

『急に具合が悪くなる』

 第79回カンヌ国際映画祭にて主演女優賞を受賞した本作。同じコンペ部門には是枝裕和、深田晃司といった日本を代表する名匠たちが立ち並ぶ中で、濱口竜介監督は本作で「一歩先の次元」へと足を踏み入れてしまったのかもしれない。

 公開直後から、すでに劇場へ足を運んだ映画ファンや批評家たちの絶賛の言葉がSNSに溢れかえっている。「人生を変えた」「圧倒的だ」「素晴らしい映画体験」……。

 ここで正直に白状してしまうと、私は濱口監督のファンではない。過去作も『ドライブ・マイ・カー』を観たくらいで、彼の作家性や一貫したテーマを汲み取って語れるような者ではない。だが、今回はそんな“ただの観客”だからこそ感じ取った、本作の異常な強度と熱量について語りたい。鑑賞するたびに無限に語れる要素が増えていくような作品だからこそ、今回は私が最も強く感じた一つのテーマに絞って語ろうと思う。

3時間16分の規格外の“欲張り”

 理想の介護を追求しながらも現実に苦悩する介護施設長のマリー=ルー(ヴィルジニー・エフィラ)と、がんを抱えながら舞台の創作を続ける日本人演出家の真理(岡本多緒)。国籍も言語も異なる2人が、対話を中心に魂を通わせることになるという本作。この映画を一言で表すならば、とにかく「欲張り」だということだ。

 まずもって、上映時間のパンク具合がすさまじい。タイパタイパと叫ばれる現代において、3時間16分という尺はなんとも規格外で、ある種の暴力性すら孕んでいる。「一瞬だった」という優等生すぎる感想も見かけたが、個人的にはしっかり「3時間16分相応」、なんならもうちょっと長く感じた。

 しかし、誤解はしないでほしい。いわゆるアート映画にありがちな「意味ありげな余白」や、中身のないだらっとした会話劇が続いたりするわけではない。そこには、極めて緻密で重厚な作劇が根底にある。分かりやすい劇的展開が用意されているわけではないが、一つひとつのシーンと台詞に込められた、映画としての本気度と強度が桁違いなのだ。

 「欲張りっぷり」は本作のテーマにおいてより顕著だ。精神障がい者、要介護者との向き合い方、社会の多様性、未来への希望、資本主義の限界、がん患者、女性のエンパワーメント、表現、境界線……。現代社会が抱えるありとあらゆる課題が、これでもかと詰め込まれている。

 そして、主人公たちもまた、徹底的に欲張りだ。余命が僅かだというのに社会構造を変えようと奮闘し、介護施設の未来のためにあえて孤独な戦いを選び、「まだ見ぬ次世代」のために身を削り続ける。

 本作が向き合う数々のテーマはどれも重く切実だが、映画は決して悲壮感を持ってではなく、その課題に対する向き合い方を極めてポジティブかつ真摯に描き出している。提示されるものはどれもハッとさせられるほど新鮮で面白く、映画としての扱い方には素直に感心させられる。しかし同時に、あまりに上手すぎるがゆえに、いささか「綺麗事では?」という意地悪な見方もできてしまう。本質を突いているようで、ユマニチュード(認知症ケアの手法)の扱いや、資本主義への否をあそこまで性急に結論づけるのは、やや無理を感じる。

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