『ばけばけ』“正木探偵”日高由起刀の迷推理が光る 焼き網消失事件が生んだ家族のひずみ
NHK連続テレビ小説『ばけばけ』第99話は、トースト用の焼き網が消えたことから始まる、いわば“家庭内ミステリー”回だった。発端は小さな紛失事件なのに、ひとたび「犯人探し」の形を取った瞬間、松野家の空気が目に見えて変わっていく。笑い話のはずが、いつの間にか刺々しい沈黙へ変わってしまう怖さを、この回は丁寧に見せていた。
火をつけたのは正木(日高由起刀)である。焼き網が見つからない。泥棒でもないなら、この家の中に隠した人がいるはずだ。そう言い切り、近頃の家族の様子を思えば「犯人がいてもおかしくない」とまで推理を展開する。その佇まいはヘブン(トミー・バストウ)の言葉を借りれば“正木探偵”だ。トキ(髙石あかり)やヘブン、家族全員が、半ば巻き込まれるように正木の推理を聞くことになる。
正木の推理がいやらしいのは、誰にでも“それっぽい動機”を用意できてしまうところだ。最初に疑われるのは司之介(岡部たかし)。トーストから米の朝食に戻ることを誰より喜びそうなのは司之介だ、という理屈は確かに筋が通る。次に矛先が向かいそうになったのがフミ(池脇千鶴)で、ここで女中のクマ(夏目透羽)が「そんなつもりじゃない」と止めに入る。だが正木は、クマに仕事を奪われて鬱憤が溜まっていたのではないか、とさらに踏み込む。
同じ理屈はトキにも向けられる。家事を奪われたような感覚がストレスになり、焼き網を隠した可能性がある。あるいはヘブンが、松野家がトーストを好んでいないことに気づき、家族の輪を乱さないために隠したのではないか。丈(杉田雷麟)は、失敗して叱られるクマを庇うために隠したのかもしれないし、クマ自身が自分を守るために隠した可能性もある。
問題は、その推理が当たり外れの話ではないところにある。最初は冗談として笑っていたはずの家族が、だんだん笑えなくなっていくのだ。言葉にされるだけで、心当たりがある人は身構える。心当たりがない人も、疑われた瞬間に腹が立つ。正木が面白がっているようでいて、実は家の奥に溜まっていた不満や遠慮を、片っ端から表に引きずり出してしまう。しかも正木自身も「自分が犯人の可能性もある」と言い出し、話は収拾がつかなくなる。誰も自首しないまま、全員に動機だけが残る。結果として松野家には、よくない空気だけが居座ってしまった。
それを決定的にしたのが、クマが見てしまう場面だ。帰宅したクマは、フミが司之介に「自白してほしい」と迫り、押し問答しているのを盗み聞きしてしまう。焼き網ひとつの話が、家族の言い分と疑い合いにまで育ってしまっている。クマからすれば、自分がここに来たせいで家が荒れていくようにも見えるだろう。
そこでヘブンが止めに入り、いったんこの件を横に置こうと区切りをつける。そのうえでヘブンは、トキを熊本が一望できる見晴らしの良い場所へ連れていく。「イマ、カゾクヨクナイ」と心配するヘブンにとって、そこは2人が落ち着ける避難場所でもある。トキが「この場所のこと、カク、デキナイデスカ?」と尋ねるのも、いまの暮らしをどこかから守りたい気持ちが滲むからだ。けれどヘブンはそんな力はないと答える。守りたいのに、守り切れる自信はない。その弱さを隠さないところが、ヘブンらしい。
そして家に戻ると、クマが「女中を辞める」と言い出す。焼き網探しは終わっていないのに、家のほうが先に壊れそうになっている。このエピソードは、犯人当ての結末ではなく、家族の輪がほどけかけているという現実だったのかもしれない。些細な事件が、溜めてきた感情の蓋を開けてしまうことがある。正木の推理は、その怖さを笑いから始めて突きつけた。
■放送情報
2025年度後期 NHK連続テレビ小説『ばけばけ』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00~8:15放送/毎週月曜~金曜12:45~13:00再放送
NHK BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜8:15~9:30再放送
NHK BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:髙石あかり、トミー・バストウ、吉沢亮、岡部たかし、池脇千鶴、小日向文世、寛一郎、円井わん、さとうほなみ、佐野史郎、北川景子、シャーロット・ケイト・フォックス
作:ふじきみつ彦
音楽:牛尾憲輔
主題歌:ハンバート ハンバート「笑ったり転んだり」
制作統括:橋爪國臣
プロデューサー:田島彰洋、鈴木航、田中陽児、川野秀昭
演出:村橋直樹、泉並敬眞、松岡一史
写真提供=NHK