『メラニア』がとらえた大統領就任式の“裏側” トランプの歴史的意味付けの重要資料か

 映画『メラニア』は、波が辺り一面の砂浜を覆うフロリダのバームビーチからはじまる。ここにはドナルド・トランプ大統領の別荘マール・ア・ラーゴがあるからだ。玄関から颯爽とあらわれたメラニア・トランプ夫人が公用車に乗り込むと、車は勢いよく門を右折して空港へと急ぎだす。「TRUMP」と印字された飛行機は瞬く間に離陸してその場を後にする。ニューヨークのトランプ・タワーに場所を移し変えた彼女は、忙しい合間を縫って再びファーストレディとなる己に相応しい衣服を整えるべく余念がない。絢爛豪華な衣装を監修するスタイリストのエルヴェ・ピエールはメラニアの審美眼を讃え続けて、そのコメディリリーフ的な立ち居振る舞いは登場するたびになんとも面白い。むろん大統領へと返り咲いたトランプの妻に洋服選びへとかまけ続ける時間の余裕はない。次から次へとやってくるアポイントメントや来るべき晩餐会への準備に向けて、彼女の日々は目まぐるしく過ぎてゆく。会場から次の会場へと小走りに移動してほんのわずかの合間、一瞬誰かと話し込んだかと思うと、間髪入れずにもう彼女は次の予定に向けてふたたび歩き出している。

 この映画の主題を一言で述べれば、それは「移動すること」にあるのだと思う。とにもかくにも、ここでのメラニアは映画の全編あらゆるタイミングでくまなくどこかへと移動し続けている。椅子に座って人と話すことこそ、逆にその移動の狭間が設けた束の間の休息であると言わんばかりに。『メラニア』を統御するこうした修辞が、彼女の忙しさをアッピールするものであると同時に、映画全体の構成の暗喩にもなっていることを見逃してはならないだろう。つまりこの映画は、まったくどこにも立ち止まらない。忙しない。

 数年前、イギリス王室をめぐるドキュメンタリーや劇映画が立て続けに日本で公開された時期があった。『エリザベス 女王陛下の微笑み』(2021年)、『プリンセス・ダイアナ』(2022年)、『スペンサー ダイアナの決意』(2021年)の3本がそれにあたる。これらと『メラニア』を比較してみると、この忙しなさはいっそう独特の忙しなさであるように思われる。たとえば『エリザベス 女王陛下の微笑み』と『プリンセス・ダイアナ』というふたつのドキュメンタリーが忙しない印象を持つのはまだわかる。どちらも対象となる人物の誕生から現在(あるいは死)までを見つめる人生の総集編としてのフィルムだからだ。あるいは昨年ヒットした『国宝』(2025年)を思い出したっていいだろう。これも主人公の幼年期から人間国宝認定までの50年を3時間に圧縮した作品だった。長い時間をじっくりと進んでゆく人生をわずか数時間に圧縮する伝記映画がいきおい散漫な印象を与えてしまうのは、どこか総まとめを見ているように思われるからだ。

 いっぽう劇映画の『スペンサー ダイアナの決意』はこうした隘路を避けて、ダイアナの人生のわずか3日間に焦点を絞った。3日という限られた枠を設けることで本作は、その一瞬の裡にダイアナの苦悩と喜悦と決断を、つまり人生そのものを圧倒的な密度で凝縮し単なる歴史映画であることを超えた今日的アクチュアリティを十分に含み込む快作となっている。『スペンサー ダイアナの決意』の法則は、ある個人を徹底的に描きこむためにはむしろ逆説的に限られた短い時間設定のなかで、その人間のすべてが浮き上がるようにせねばならないということを教えてくれる。

 『メラニア』が対象とするのは、トランプ大統領が再選し就任式を行うまでの20日間。時間設定の狭さはばっちりだ。あとはこの短い期間のあいだをじっくりと凝視すればいいだけ……のはずなのだが、本作のメラニアは歩き、走り、ちょっと腰を落ち着けたかと思うとまた歩き、走り、就任式の前にトランプとダンスを踊っているばかり。その心中でほんとうのところは何を考えているのかについては慎重に距離を置きつつ、「パブリック」な姿とともにこの映画はただひたすらに前へ前へと進んでゆく。

 彼女がじっさいのところ何を考えていたのか。それはやがて歴史家がきちんと明かすだろう。公正な眼差しからの伝記も出版されるに違いない。そのとき、このフィルムがどのように扱われることになるのか。単なる礼賛映画のままなのか、あるいは意外な思いもつかなかった箇所に歴史の真実が刻印されていたのか。歳月はこの映画にどのような評価を与えるのだろうか。 

■公開情報
『メラニア』
全国公開中
監督:ブレット・ラトナー
配給:Amazon MGM Studios
104分/原題:Melania/PG
Regine Mahaux/Amazon MGM Studios
Muse Films/Amazon MGM Studios

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