『ばけばけ』『べらぼう』が象徴するNHKドラマの新たな挑戦 2025年ドラマ座談会【後編】
2025年のドラマシーンを振り返る座談会。前編では「恋愛ドラマの二極化」や「脚本家の世代論」について語り合ったが、後編ではNHKが誇る二大看板枠「大河ドラマ」と「朝ドラ」、そして日曜劇場などの民放ドラマの現在地について議論を深めていく。
『あんたが』『めおと日和』などから考える“恋愛ドラマ”の変化 2025年ドラマ座談会【前編】
2025年の国内ドラマシーンは、ベテラン脚本家の新作から気鋭の若手による意欲作、そしてNetflixをはじめとする配信ドラマのさ…横浜流星主演で蔦屋重三郎の生涯を描いた大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』、『おむすび』『あんぱん』『ばけばけ』と続いた朝ドラのリレーは、現代の視聴者に何を問いかけているのか。映像演出の革命的な進化や、脚本に込められた時代性、そして2027年のバカリズム朝ドラへの期待まで、ドラマ評論家・ライターの成馬零一、木俣冬、田幸和歌子が徹底的に語り尽くした。
大河ドラマは“フィクション”であることを活かしきった『べらぼう』
『べらぼう』が大河ドラマだからこそ描けたこと 一橋治済の最期に詰まった“物語の強度”
NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』が最終回を迎えた。 森下佳子が脚本を手掛けた本作は、江戸のメディア王として様々…成馬零一(以下、成馬):『べらぼう』は、中盤から終盤にかけての盛り上がりが凄まじかったですね。特に最後の5話ぐらいのラストスパートがめちゃくちゃ面白かった。その牽引力となったのが、生田斗真さん演じる一橋治済の描き方です。治済は食べ物に毒を入れるようなことを平気でする。これって、近年のドラマのトレンドに対する強烈なアンチテーゼに見えるんです。
田幸和歌子(以下、田幸):どういうことでしょうか?
成馬:今のドラマって、いわゆるグルメドラマがすごく多いじゃないですか。あるいは恋愛ドラマであっても、肉体的な接触よりも一緒にご飯を食べる描写の方に官能性や信頼関係を託している。言ってみれば「食事が神」みたいな状態で、美味しいご飯を食べることだけが現代人の絶対的な拠り所になっている。そういう風潮がある中で、『べらぼう』は食事という最も信頼すべきコミュニケーションツールを逆手にとって、毒を盛ることで人を殺していく。治済の描き方は今のグルメドラマブームに対する批評性すら感じてスリリングでした。
田幸:なるほど。そういえば前編で話題に出た『じゃあ、あんたが作ってみろよ』(TBS系、以下、『あんたが』)でも、「おにぎりハラスメント」の話題がありましたね。
成馬:「他人が握ったおにぎりなんて食えるか」という感覚ですよね。あれはコロナ禍以降の衛生観念の変化や、他者への不信感が反映された描写だと思いましたが、『べらぼう』の毒殺も、食事には絶対的な信頼関係がないと成立しないということを逆説的に描いていました。人間ドラマを構築するはずの食を、信頼ごと一緒に踏みにじっていく。そのキャラクターとしての悪辣さが、物語の面白さに直結していました。
木俣冬(以下、木俣):確かに、毒殺は行為としては酷いけれど、物語としては面白い(笑)。生田斗真さんもそうですが、『あんたが』の竹内涼真さんも同じく、一時期は世間的に評価が定まらなかったり、少しネガティブな印象を持たれていたりした俳優たちが、2025年は悪い役やダメな役を演じることで一皮むけた印象があります。そのカテゴリーではないですが、風間俊介さんが演じた蔦屋重三郎のライバル・須原屋市兵衛も、最初は嫌な奴だったのに、だんだん社会に適応して胡散臭い仲間になっていく過程が絶妙でしたね。
成馬:ただ、この『べらぼう』の展開については、「漫画みたいだ」という賛否もあったようですね。実際に「あいつを倒す!」みたいな『少年ジャンプ』的な展開になる部分もありましたし。
木俣:そうなんです。私の周りでも、従来の大河ファンーーおそらく重厚な歴史ドラマや、学びのある教養としてのドラマを求めている層ーーからは、「漫画チックで軽薄だ」「ありえない展開だ」という批判的な意見を見かけました。でも、私は逆にそこが良いと思いました。当時の江戸文化、つまり蔦重が扱っていた戯作や浮世絵といった大衆娯楽は、まさに荒唐無稽な展開やスキャンダラスな面白さで庶民を熱狂させていたわけです。「雷に打たれて死ぬ」とか「霊に取り殺される」とか、そういう浄瑠璃や講談や歌舞伎的なケレン味が当時のリアリティだった。その俗っぽいエネルギーを現代のドラマとして再現しようとした結果が、あの漫画的な展開だったのではないか。そう説明すると納得してくれる方もいましたが、作り手としてはかなり高度なことをやっていたと思います。
田幸:森下佳子さんの脚本構成力はさすがでしたね。膨大な史料を読み込んだ上で、あえてエンタメとして再構築している。最近の視聴者、特に若い世代は「教科書に載っているような正解」を確認するようなドラマを好む傾向がある気もします。「ここテストに出たよね」「これ知ってる」という答え合わせの快感を求めているというか。その点、『べらぼう』は写楽複数人説のような大胆な仮説を提示してくるので、史実至上主義の人たちには受け入れ難かったのかもしれません。
成馬:歴史ものとして観ていた人が、ラストの展開に本気で怒ってたことには驚きました。でも、エンタメって本来「嘘」を楽しむものじゃないですか。森下さんは「大河ドラマもフィクションである」ということを自覚的にやりきった。これは彼女だからこそできた“確信犯的な遊び”だったと思います。
『ばけばけ』のこれまでにない映像演出
木俣:それに関連して言うと、朝ドラ『ばけばけ』が小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を題材にしたことも象徴的です。八雲の『怪談』は、日本の伝承をそのまま記録したのではなく、彼なりの解釈やオチをつけて「再話」した文学作品ですよね。つまり、元ある素材を書き手が咀嚼して、新しい物語として提示する。それはまさに森下さんが『べらぼう』でやったことだし、ドラマ作りそのもののメタファーでもあります。『ばけばけ』という題材を通して、NHKが「ドラマとは史実の再現ではなく、語り直された物語である」と宣言しているようにも感じられて、非常に興味深いし、それを応援したいです。
成馬:映像面でも『べらぼう』と『ばけばけ』は対照的でした。2010年代の『龍馬伝』以降、大河ドラマは埃が舞うようなリアリティや手持ちカメラによるドキュメンタリータッチが主流でしたが、今回は浮世絵を意識したような、色彩がパキッとしたスクエアな映像。それに対して、朝ドラ『ばけばけ』は、画面全体に霧がかかったような、ぼやけた映像の美しさを追求していました。この「パキッとした大河」と「ボヤッとした朝ドラ」の対比は、2025年のNHKドラマを象徴する面白さだったと思います。
田幸:『ばけばけ』の映像の質は本当に素晴らしいですね。BK(大阪放送局)制作の朝ドラとしては初めて、大河ドラマで使用するような高画質のシネマカメラを導入したそうですが、松江の湿度の高い空気感や、薄暗い家屋の中の陰影が見事に表現されていました。貧乏な暮らしを描いているのに、画面がただ暗いのではなく、上品な湿度がある。あの映像があったからこそ、ふじきみつ彦さんの脚本による現代語っぽい軽妙な掛け合いも、チープにならずに成立していたのだと思います。
木俣:まさに「陰翳礼讃」の世界ですよね。貧乏な長屋でも、天井から入る光や、障子を通した柔らかい明かりが計算され尽くしていて、ただの貧乏ではなく美意識のある貧乏になっていた。近年の朝ドラは、セットの隅々まで明るく照らすフラットな照明が多く、画面が明るすぎるきらいがありましたが、『ばけばけ』は本来の日本家屋が持つ暗闇の豊かさを取り戻してくれました。もちろん、高齢の視聴者からは「画面が暗くて見えづらい」「もっと華やかな着物が見たい」という声もあったかもしれませんが、朝ドラという国民的番組でこの映像美に挑戦したことは高く評価されるべきです。
田幸:脚本に関しても、ふじきみつ彦さんのコントロールが見事でした。朝ドラは長丁場なので、演出家が変わるとトーンが変わってしまう作品も多いのですが、『ばけばけ』は誰が演出しても一定の品格とトーンが保たれていました。以前、脚本家の安達奈緒子さんの『おかえりモネ』には「台本に答えが全て書かれている」と役者さんたちがおっしゃっていましたが、ふじきさんは逆に、現場の美意識や役者の解釈に委ねる余白を残しつつ、全体の世界観をコントロールする書き方をされていたのかもしれません。
木俣:チーフ演出の村橋直樹さんが大河ドラマ経験者ということもあり、朝ドラの「明るく元気」というフォーマットに囚われずに、大河的な重厚さで撮ったことが良い方向に作用しましたね。スタッフもキャストも実力派が揃い、BK制作ならではのチャレンジ精神が結実した作品でした。