『べらぼう』脚本・森下佳子は“写楽”をどう解釈したのか “愚道者”横浜流星への感謝も

 NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の放送も残り2回。蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)という“歴史の主人公”ではなかった人物の視点から、エンタメを通して歴史を知る面白さと喜びを教えてくれた本作。登場人物全員が愛おしい物語を脚本家・森下佳子はいかにして生み出したのか。最終回までの物語について話を聞いた。

『べらぼう』の「写楽」はいかにして生まれたのか

――物語の最大の謎であった「東洲斎写楽」について伺います。劇中では特定の個人ではなく、蔦重を中心とした“チーム”として描かれましたが、この構想はいつ頃からあったのでしょうか?
 
森下佳子(以下、森下):写楽について“複数人説”を取ろうというのは、割と初めの段階から決めていました。もちろん、現在の美術史の世界では「写楽=斎藤十郎兵衛」説でほぼ決着がついていることは存じ上げています。ですが、改めて写楽の絵をずらっと並べてみたときに、やっぱり複数人説の方がしっくりくると感じたんです。

――具体的にどのような点からそう感じられたのですか?

森下:まず、あまりにも短い期間にものすごい数の作品を出している点です。あれを一気に出したとしたら、準備期間も含めて「果たして一人でできたのか?」という疑問がありました。それから画風の変化です。第1期は大首絵ですが、第2期からは全身像になります。その際、第1期で作った顔をまるで“コピペ”したかのように当てはめて作っているように見えるんです。そういった制作過程を見ると、「これは何人かで手分けしてやったんやろう」という気がしてなりませんでした。

――劇中では、歌麿(染谷将太)を筆頭とした、蔦重が見出した才能たちが集結する展開になりました。

森下:写楽という存在は、鈴木春信から始まった錦絵の歴史、そこに歌麿や山東京伝(古川雄大)たちが積み上げてきた文脈の“行き着いた先”だと思っています。かつての浮世絵は、男女の描き分けも曖昧なほどお人形のような絵でした。そこから写実性が高まり、歌麿が実際のモデルを見て描く、リアルさを追求していった。そのリアリズムの流れの果てに、写楽があるのではないかと。蔦重たちが仕掛ける最後の祭り、その象徴が写楽なんだろうと解釈して描かせていただきました。

松平定信と“ラスボス”への思い

 ――物語の後半、蔦重たちの立ちはだかる壁として描かれた松平定信(井上祐貴)ですが、単なる悪役ではなく、非常に人間臭いキャラクターとして描かれていました。

森下:松平定信に関しては、彼が後年書き残した資料を読んだ時にすごく魅力を感じたんです。「どんなに良い政治でも、長く続けるとだいたい文句を言われるものだ。だからあの辺で辞めておいてよかったんだ」といった、ものすごい強がりを書いていたりするんですよ(笑)。また、『大名形気』という戯作のようなものを創作していて、その中で「殿様が好き勝手やるから家臣はついていくしかない」みたいな愚痴をこぼしている。その一方で、家臣に対しては「耳に痛いことでも言ってくれ」と言うくせに、実際に言われるとめちゃくちゃ怒る(笑)。そういう矛盾した、ぐちゃぐちゃっとした人間らしさを愛おしく感じて、そこをキャラクターに込めたいと思いました。

――一方で、一橋治済(生田斗真)のような、権力の中枢に居座り続ける存在が“ラスボス”となりました。「敵討ち」の形は脚本を執筆していく過程で変わったそうですね。

森下:そうなんです。当初は、写楽という謎を仕掛けて権力者を翻弄するような、ミステリー仕立ての「敵討ち」を考えていました。でも、執筆を進める中で「これですっきりするんだろうか?」と疑問が湧いてきて。権力を持って好き放題やっていた人たちに、今生で鉄槌を下すことはできないかもしれない。けれど、彼らに誰も感銘は受けないし、歴史的な評価は下されるはずです。逆に、一生懸命生きた蔦重や平賀源内(安田顕)たちの“跡形”は、確実に歴史に残る。その生き様を残すことこそが、彼らにとっての復讐であり、勝利なんじゃないかと考えるようになり、方向転換しました。

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