『べらぼう』生田斗真があまりにラスボス過ぎる “血と志”を描く大河ドラマ異例の最終幕へ
「世の中、好かれたくて、役立ちたくて、てめぇを投げ出すヤツがいるんだよ。そういう尽くし方しちまうヤツがいるんだよ。いい加減、わかれよ。このべらぼうが!」
そう、この物語の主人公・蔦重(横浜流星)は最初からずっと無鉄砲な“べらぼう”だった。人々を楽しませる天才的なアイデアはひらめくものの、それを実現するためには周囲の力が必要で、これまで本当に多くの人を怒らせ、困らせ、泣かせてきた。それでも憎むことなどできない。嫌いになんてなれない。これは、そんな“べらぼう”の蔦重を愛する、“べらぼう”な自分をも受け入れた歌麿(染谷将太)の覚悟の言葉だった。
NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第46回「曽我祭の変」では、ついに蔦重が結成した“チーム写楽”に最後のピースとして歌麿が加わった。歌麿には命をありのままに描く写実性、そして蔦重の頭の中にあるアイデアを形にする絵師としての強靭な筋肉がある。何度も何度もしつこいほどに繰り返すダメ出しを、いいものを生み出すために必要な過程としてここまで楽しめる絵師も他にはいない。それは、ふたりが離れてみて、蔦重も歌麿も、そして周囲の誰もが気づいた、認めざるを得ない事実だ。
そんな歌麿を、いわば恋敵であったてい(橋本愛)が連れてきたというのも胸を熱くするものだった。個人的な恋心も、クリエイターとしての嫉妬も、生みの苦しみも、喪失の悲しみも。この世界に生きる喜怒哀楽すべてをかけて、蔦重との作品づくりに向き合う。そんな歌麿とていの決意の表れでもあったからだ。
蔦重とていの間に授かった子どもは空へと帰ってしまった。蔦重と歌麿の間にあるのも「義兄弟」という偽の人別だ。そして、“写楽”の根幹にある平賀源内(安田顕)にも子はいなかった。“血”ではないもので結ばれ、子とも呼べる作品を生み出そうとする、それが“チーム写楽”だ。一方、将軍に多くの子をもうけさせて全国に「一橋の血」を広めていこうとしている一橋治済(生田斗真)。そこに、血筋の上では将軍になり得た松平定信(井上祐貴)の私怨も絡まる。
血か、志か。そんな対立構造に、治済の暗躍によって息子の命を奪われたであろう、かつての将軍・徳川家治(眞島秀和)と田沼意次(渡辺謙)が「知恵」を守るために「血筋」はくれてやろうと話していた情景を思い出す。そして今、家治も意次も肉体を失ったものの、その志がしっかりと受け継がれていることに気がつく。たとえ自分が生きている間には成し遂げられなかったとしても、その志を未来の誰かに残していくことができる。その希望は決して血だけではないのだ、と。
「写楽って、すげぇな……」。蔦重がこれまで培ってきたすべてを集結させた写楽の誕生。次々に見知った顔が出てくるのも、その中心に歌麿がいるのも、蔦重の人生を見守ってきた私たち視聴者にとってはグッとくるものがある。一つひとつの顔のパーツが組み合わさってできた写楽の絵には、これまで蔦重が受け取ってきた志が吹き込まれていくかのようだった。