堤真一、『ばけばけ』の演技は『青天を衝け』と正反対? “間”が生み出す優しさと威厳
NHK連続テレビ小説『ばけばけ』を観ていて、毎朝の放送時間があっという間に過ぎてしまう。その理由は、物語が描く時間の流れがどこまでもやわらかく、現代とは異なる“ゆっくりとした呼吸”で進んでいるからだろう。
その穏やかな時間の中で異彩を放っているのが、堤真一演じる雨清水傳だ。静かに座っているだけで場が締まり、松江の空気に確かな厚みが生まれる。物語がどんなに明るく、時にコミカルに転がっても、彼が一言発すれば世界が一段深くなる。堤がそこにいるだけで、ドラマの“根”が下りるとでも言えばいいのだろうか。とにかく安心感がある。
堤が演じる傳は、上級武士で文武両道のエリートとして松江に生きる男であり、ヒロイン・トキ(髙石あかり)を導く精神的支柱でもある。堤自身がインタビューで「仕事をしている時は明治の人、奥さんといる時は江戸の人」と語っていたように、仕事の場では近代的で理知的な明治の男、家庭では江戸の情と誇りを忘れない男というこの“二重の時代性”を、堤は声と身体のわずかな温度差で描き分けている(※)。朝ドラという生活の物語の中で、これほど精緻に時代の温度差を演じ分けられる俳優はそう多くない。
朝ドラの序盤で重要なのは、ヒロインが最初にぶつかる“壁”を誰が作るかだ。傳は、まさにその壁の役割を担っている。トキが社会の変化や縁談の波に揺れながら、自分の進む道を探す過程で、傳は常に彼女の傍らに立ち、時に厳しく、時に穏やかにその心を試す。堤の声には、不思議な“余白”がある。堤の台詞には、わずかな“間”がある。最後の一音を伸ばすその呼吸が、登場人物の感情を受け止める余地を生んでいる。その緩急の取り方が、トキの瑞々しい演技をより自然に見せている。堤は画面の中心に立つというよりも、全体を支える立場から物語を成立させるタイプの俳優だ。存在感を誇示しない強さが、『ばけばけ』の人間ドラマに落ち着いた重みをもたらしている。
堤が『ばけばけ』で見せているのは、まさに“緩の演技”である。激しさで押し切るのではなく、余白で魅せる。明治という新しい時代の流れのなかで、自分自身も変わらざるを得ない男を、どこまでも自然に、力まずに演じている。たとえば、トキが家族の問題に直面したとき。堤は声を荒げることも、感情をあらわにすることもない。ただ静かに微笑み、わずかに肩を落とし、深く息をつく。その一連の動きのなかに、長い年月を生きてきた男の諦念とやさしさが宿っている。彼の芝居には、言葉では言い表せない温かさがある。セリフよりも、わずかな沈黙の中に感情が滲み出る。まるで、朝の空気に溶け込む“人の呼吸”のような自然さを感じさせる演技だ。
『青天を衝け』草なぎ剛×堤真一の名コンビが誕生! 栄一は身分制度への怒りをあらわに
大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合)第4回「栄一、怒る」では、栄一(吉沢亮)が身分制度への怒りをあらわにする。 ペリー再来…一方で、NHK大河ドラマ『青天を衝け』で演じた平岡円四郎との対比は象徴的だ。円四郎は幕末の政治の中枢に身を置く人物であり、堤の演技は常に張りつめた沈黙と抑制によって構築されていた。会議の場面では、言葉よりも視線の動きや呼吸の取り方で場の空気を支配する。発話の前後に生まれる“間”が、そのまま権威の表現となっていた。堤の円四郎は、言葉を削ぎ落とすことで逆に言葉の重みを強調する俳優的アプローチを示しており、そこに歴史的な緊張感が宿っていたように思う。
時代と時代、重厚と軽妙、緊張とユーモア。そのあわいを自在に行き来しながら、物語に深みをもたらす。彼が画面にいるだけで、場の空気が落ち着き、視聴者は安心してその世界に身を委ねられるのだろう。
『青天を衝け』では、歴史の激流のただ中に立つ男として。『ばけばけ』では、人の暮らしをそっと支える男として。その両方に共通するのは、人を支える演技という信念だ。重さと軽さ、権威と親しみ。そのすべてを同じ呼吸の中で共存させられる俳優は、そう多くない。物語が進む中で、傳がどんな“時代の波”に飲み込まれていくのか。そして堤が見せる“時代を見つめるまなざし”が、トキや視聴者にどんな影響を与えるのか。
参照
※ https://www.steranet.jp/articles/93920
■放送情報
2025年度後期 NHK連続テレビ小説『ばけばけ』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00~8:15放送/毎週月曜~金曜12:45~13:00再放送
NHK BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜8:15~9:30再放送
NHK BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:髙石あかり、トミー・バストウ、吉沢亮、岡部たかし、池脇千鶴、小日向文世、寛一郎、円井わん、さとうほなみ、佐野史郎、北川景子、シャーロット・ケイト・フォックス
作:ふじきみつ彦
音楽:牛尾憲輔
主題歌:ハンバート ハンバート「笑ったり転んだり」
制作統括:橋爪國臣
プロデューサー:田島彰洋、鈴木航、田中陽児、川野秀昭
演出:村橋直樹、泉並敬眞、松岡一史
写真提供=NHK