『ChaO』が問う“異種族間恋愛”の現在地 『シェイプ・オブ・ウォーター』と比較考察

 現在賛否を集めているSTUDIO4℃最新作の長編アニメーション映画『ChaO』。夏休みシーズン、多くの人々が『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』や『国宝』の話題で持ちきりになる中、「なんか面白そう」という軽い気持ちで本作を観てみた。独特なキャラクターデザインは人を選ぶものの、ストーリー自体は王道な恋愛映画で、心情の変化が細かく描かれている。序盤に仄めかされていた謎が、終盤にかけて一気に伏線回収されるため、鑑賞後に強い満足感があった。

『ChaO』©2025「ChaO」製作委員会

 本作はアンデルセンの名作童話『人魚姫』をベースにしており、人間と人魚が共存する近未来の上海を舞台に、人間の青年と人魚王国の姫の恋物語を描いている。近い題材で、半魚人と人間の異種族間恋愛を描いたギレルモ・デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』が挙げられる。この2作品の対比を掘り下げることで、異種族間恋愛を描いた作品におけるルッキズム(外見至上主義)について考察したいと思う。

『ChaO』におけるルッキズムの呪縛

 『ChaO』は一貫して、異種族間の恋愛というテーマを掲げているが、主人公の青年・ステファンはヒロインと出会ったばかりの頃は「魚」と結婚することに抵抗があったものの、最終的に彼女は「魚」ではなく、「美しい人魚」の姿となって彼と結ばれることになる。終始作品を通して、愛は種族を超えると言っているものの、最終的には人間と同じような姿になるという展開のため、説得力に欠けるように見える。

『ChaO』©2025「ChaO」製作委員会

 加えて、『ChaO』の世界で生きる人間たちの見た目が非現実的なほど多様であることが当たり前のこととして描かれているのも興味深い。しかし、「人間と人魚の結婚」という、より本質的な異種間の関係については、なぜか保守的な考え方が垣間見える。作品の根底にある「異質なものとの共存」というテーマが、キャラクターの容姿という表面的な部分では積極的に描かれているのに、異種間の愛という核心的な部分では十分に掘り下げられていない。このギャップが、鑑賞者に違和感を与えている。

 ヒロインのチャオは、序盤こそ魚の姿で登場するが、物語が進むにつれて様々な人間たちと関わることで内面を見せるようになっていく。中盤以降では、心を許した相手の前でしかなれない「美少女」の姿がメインに描かれる。この設定は、異形を異形のまま愛するという『シェイプ・オブ・ウォーター』とは真逆のアプローチだと言える。

『ChaO』©2025「ChaO」製作委員会

 では、この結末は「愛は見た目じゃない」というメッセージにどのような影響を与えるだろう。結局は男女が結ばれるだけの物語として観客に受け取られ、作品のメッセージは説得力を失うのではないか。もしかしたら、これは異種族間恋愛を描く上で、「最終的には人間と同じような姿になる」という展開が、美男美女の恋愛を求める市場のニーズに応えるための制約なのかもしれない。つまりルッキズムの呪縛がエンタメ作品に与える影響の一例とも考えられるだろう。

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