『ちはやふる-めぐり-』の原点を振り返る “青春映画の金字塔”綾瀬千早=広瀬すずの物語
現在放送中の水曜ドラマ『ちはやふる-めぐり-』(日本テレビ系)。競技かるたに燃える高校生たちを描いたこの物語には、ちょうど10年前を描いた、原点となる映画があった。2016年から2018年にかけて公開された、『ちはやふる-上の句-』『ちはやふる-下の句-』『ちはやふる-結び-』である。
『ちはやふる-上の句-』
すべてはここから始まった。筆者は『ちはやふる -上の句-』を観るまで、競技かるたというものを舐めていた。大江奏(上白石萌音)が想像していたような、宮中の雅なお遊びだと思っていた。
広瀬すず演じる主人公・綾瀬千早が勝負に臨む際のまなざしを観て、それは大きな間違いであったことを思い知る。あの緊張感、集中力からの瞬発力、それはもはや武道の試合だった。剣道や伝統派空手(オリンピックで採用された空手)のような、一瞬の判断力と瞬発力ですべてが決まってしまう、そんな耐えがたいような緊張感の中で行われる類のものだった。
それまで広瀬すずを観て抱く感想は、単純に「かわいい」とか「きれい」というものだった。だが本作での彼女を観て抱く感想は、ただただ「カッコいい」。一流アスリートにしか出せない種類のカッコよさだ。勝負に臨む際の横顔の凛々しさは、武道家や剣豪のそれだ。それでいて、かるた以外はいろいろと残念美人なところも、お約束である。
千早はおそらく、意図的にゾーンに入ることができる。深い深呼吸から髪を耳にかけることで、超集中の状態に入る。雑音はすべて消え去り、読手の声しか聞こえなくなる。そして、読手の読み上げる「音になる前の音」、たとえば「ふ」になる前の「F」の音まで聞き分ける。
『ちはやふる -結び-』ヒットの理由ーーキャストや監督らの絶妙なバランスが“奇跡”生む
競技かるたをテーマにした末次由紀の人気コミックを実写映画化した『ちはやふる』シリーズ完結編『ちはやふる -結び-』が、過去2作品…続く『下の句』からは、この千早もかなわないような天才たちが登場し始める。ただこの物語の面白さは、それらの「神に選ばれた天才たちの異能バトル」に終始しないことだ。我々観客に近い立場の人間である、平凡な選手も切り捨てては描かない。
その代表格が、“机くん”こと駒野勉(森永悠希)だ。彼は元々かるた好きでもなんでもない。ただのガリ勉だったが、団体戦の人数5人を揃えるために、強引に入部させられる。やがてかるたの面白さにも目覚め、仲間との結束も深めていくが——。
やがて彼らは、部としての初の大会に出場する。当然、初心者の机くんは勝てない。机くんだけが勝てない。負け続ける。彼は、大会中にも関わらず帰ろうとする。彼は、泣きながら訴える。「やらなきゃよかったよ、かるたなんて! 前みたいにひとりでいれば、こんな気持ちにならなかったのに!」。
わかる。すごくわかる。痛いほどわかる。あらゆる勝負事において、敗者はみじめだ。消えてしまいたくなる。それが一日に何度も続くのは、地獄だ。「こんなこと、最初からやらなければよかった」と思う。だが、心からの悔しさがない生き方には、心からの喜びもない。
千早の弾いた札が、机くんの頬を打つ。その千早からの喝のような札に詠まれていた歌は、〈もろともに あはれと思へ 山桜 花より外に 知る人もなし〉という、行尊の歌だった。寂しさを詠った歌だと思われがちだが、かつて千早はこの歌を、強い絆の歌と解釈した。机くんへの、「あなたがいるから私もがんばれる」というメッセージだ。
大泣きした机くんは、覚醒する。この机くん覚醒のシーンには、こちらの涙腺も刺激された。天才たちの戦いについては、「すげー……」と仰ぎ見るだけだ。だが凡人が歯を食いしばる様には、同じ凡人として、深く感情移入をしてしまう。
本作の表の主人公が広瀬すずなら、裏の主人公は森永悠希だ。近年、困り笑顔が魅力的なバイプレーヤーとして観ることも多くなり、嬉しい限りだ。