『スーパーマン』は映画史に刻まれる一作に 発揮されたジェームズ・ガンの“パンク精神”
一方で近年、世界的な注目を集めているのが、いわゆる「イスラエル・パレスチナ問題」である。ユダヤ人が20世紀にナチス・ドイツのホロコーストにより民族的な迫害と虐殺を受けたことは周知の事実だが、その後、古代ユダヤ王国の存在を根拠として1948年に建国されたイスラエルは、アメリカの支援を受けつつ、かつてオスマン帝国と英国委任統治領パレスチナに住んでいたアラブ系住民、すなわち現在のパレスチナ人の土地にユダヤ系移民が入植するかたちで成立した。
長年の間続いた戦争と占領、入植地の拡大、ガザ封鎖などにより、パレスチナ側との対立は深まり続けていった。とくに2023年以降は、ガザ地区を実効支配するイスラム武装組織ハマスとイスラエル国防軍との間で大規模な軍事衝突が起き、イスラエル側はハマスの殲滅を名目としながらも、ガザ地区の住宅地や避難所を空爆し、子どもを含む多数の一般市民が犠牲になる事態となっている。
このような構図を見ることによって、もはやユダヤ人は一方的な歴史の被害者の立場に立っているだけではないという事実が、われわれの知るところとなったのである。そして、何の罪もない子どもたちが、現在も殺害されている状況が続いているのだ。アメリカ政府は基本的に、そんなイスラエルを現在も変わらず支援している。
この事態に及んで、「世界の警察」を標榜しているアメリカに、果たして正義があるのかという疑念が、国際社会から生まれることは必然だといえよう。アメリカで育ったスーパーマンが、本当に“正義”の象徴であるならば、果たしてこのような事態を許すのだろうか。
本作では、ロイス・レインとスーパーマンが、他国に内政干渉したスーパーマンの行動について激しく議論する場面がある。ロイスは「アメリカ大統領に了解を取った?」と疑問を投げかける。本作に登場する国家ボラビアはアメリカの同盟国であり、その国の軍に無断で武力行使をしたスーパーマンの行動は明らかに越権行為であるというのだ。軍隊の戦力に対抗できるほど強大なパワーを持った存在が、個人の感情から世界情勢に影響を与えるといった行動には、確かに問題があるのかもしれない。ロイスの新聞記者としての質問は正当なものだ。
しかしスーパーマンはそこで、「人が殺されようとしていたんだ!」と、声を荒げて反論する。この物語のなかにおいて、もしスーパーマンが国家間の政治の複雑さを受け入れ、越権行為に及ぶことを躊躇していたら、確実にジャルハンブルの市民は大勢殺害されていたことだろう。それを黙認するのだとしたら、果たしてそれはスーパーヒーローなのか。彼は正義の象徴などと呼ばれる存在なのかという、素朴な疑問が湧いてくるのである。
本作において、スーパーマンは混戦のなかでも、人の命を第一に考え、戦闘や戦局よりも人命救助の方を優先している。劇中に登場する「ジャスティス・ギャング」たちが、スーパーマンほどにはそこにこだわっていなかったように、ここではヒーローの間でも人命に対する意識にはグラデーションがあることが示されている。つまりスーパーマンはヒーローのなかで、犠牲が増えるリスクを負ってでも目の前の人を助けたいという感情を優先する、“人間味のある存在”であることが示唆されているのである。
本作においてスーパーマンは、「異星からやってきた支配者」だとか、「人間ではない」などと、アメリカの民衆の怨嗟をぶつけられる状況に追い込まれていた。しかし、他国の人々が殺害される状況を看過し、見て見ぬふりをしている市民や、政治の複雑さを理由に動かない政治家たちよりも、一人の命もあきらめたくないと考え、救出しようと奔走するスーパーマンこそが、誰よりも“人間らしい感情”を持っているといえるのではないだろうか。
平凡だが善良な育ての両親のもとで成長したスーパーマンは、本作においてクリプトン人の両親と育ての両親との価値観の間に立ち葛藤することになる。その構図は、アメリカにおけるユダヤ系市民が、両極の感情に引き裂かれる精神状況に近いのではないか。勇敢にも、イスラエルによる攻撃が虐殺であると主張し、抗議をしているユダヤ系の市民たちもアメリカには存在する。自分の意思で地球の人々を守ることを再度選び取ったスーパーマンもまた、このようなユダヤ系アメリカ人による正義の象徴だと考えられるのである。
こういった構図が示しているのは、どんな出自を持った人間だとしても、個人の考えは多様化されており、善人も悪人も、そのどちらでもない人も、等しく存在しているという事実だ。だからこそ、移民であっても何代その土地に住んでいようとも、個人は個人として見るべきであり、人間をカテゴリーに当てはめて判断するべきでないということを、本作は物語を通して観客にうったえているのである。
残念ながら、アメリカでもヨーロッパでも、そして日本でも、移民をひとくくりにして排斥するような差別的言説が増えている状況にある。スーパーマンが寛容な精神を「パンク」だと劇中で述べるというのは、そういった社会で優しさを持つことが、現在ではもはや反逆であり反体制になってしまっているという異常事態を浮き彫りにしているといえよう。そして、つくり手側は、そのことをはっきりと意識してセリフにしている。
スーパーマンは、屈折した魅力を持つバットマンなどとは違い、本来は明快で分かりやすい、正義そのもののようなヒーローである。だからこそ彼のような存在は、複雑化した現在において機能不全に陥らざるを得ない。だが逆説的に、彼がそんなヒーローであることが、現状において最も意味を持つことになったともいえるのではないのか。
彼がヒーローであると同時に、イノセントでナイーブな“人間性”を持っているからこそ、人が理不尽に殺され、移民が排斥されるような社会を見過ごせないという構図が、いまの世界がどれほど人間性を失っているのかという現実を、まざまざと映し出すことになったのである。本作は、われわれ観客に、真っ当で人間味のある感情を思い出させることになるだろう。そして、自分のなかにある人間らしさに価値があると語ってくれるのだ。
このように本作『スーパーマン』は、ヒーローの代表といえるスーパーマンを題材にして、批判を恐れずにアメリカや世界の歪さを映し出す鏡としての役割を与えたことで、どのヒーロー映画よりも正義と悪との問題に踏み込んだ、根源的で意義深い作品に仕上がったといえよう。
ハリウッドのヒーロー映画ブームが押し上げたジェームズ・ガン監督は、自身が得ることになった強大な権力を、『スーパー!』(2010年)のときから変わらず持ち続けていた“パンク精神”、“批判精神”に立ち返ることによって、誰もが目を逸らしていた標的を撃つ力としたのである。そのクリエイターとしての勇敢な姿勢と覚悟こそが、真の“ヒーロー精神”だといえるのではないだろうか。
■公開情報
『スーパーマン』
全国公開中
出演:デヴィッド・コレンスウェット、レイチェル・ブロズナハン、ニコラス・ホルト、エディ・ガテギ、ネイサン・フィリオン、イザベラ・メルセド、スカイラー・ギソンド、ウェンデル・ピアース、ベック・ベネット
監督:ジェームズ・ガン
配給:ワーナー・ブラザース映画
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公式サイト:superman-movie.jp