リメイクアニメはなぜ批判されるのか メディア間“翻案”の歴史からみるリメイクの創造性

 近年、アニメ作品のリメイク企画が多くなっている。現在放送中の『らんま1/2』に『るろうに剣心』、少し前には『うる星やつら』に『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』、今後も『ベルサイユのばら』や『赤毛のアン』『キャッツ・アイ』などといった企画が控えている。

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 企画の成立には、それぞれ個別の事情とプロセスがあるだろうが、概ねリメイク企画は過去の人気作・名作のネームバリューを当てにして企画される。そういう意味では、どの企画も商業的な事情は多分に考慮されているだろう。

 だが、リメイクは厳しい目を向けられがちだ。オリジナルという「比較対象」が存在している以上、一般的な作品鑑賞とは異なる態度になるのは避けられない。昔の名作を商業的な目的で掘り起こすことに対する倫理的な怒りもあるかもしれない。

 日本製の連続TVアニメ1作目である『鉄腕アトム』が何度かリメイクされている通り、日本アニメのリメイクは近年始まったことではない。だが、リメイク企画が増産傾向になったのは近年初めて顕著となったことなので、アニメ業界もファンもリメイクをどう語るればいいか、まだ定まっていないかもしれない。

 しかし、リメイクに商業的メリットしかないかというと、そんなこともないのではないか。リメイクには文化的・創造的な価値もあるはずだ。再創造もまた創造の一種だとすれば、リメイクもまた文化的な価値を有するものであるはず。アニメにリメイク企画が増えている今、その価値を考えることは有益なはずだ。

人間はリメイクに厳しい生き物である

『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』第2期「京都動乱」©和月伸宏/集英社・「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」製作委員会

 リメイクの文化的価値を考える前に、リメイクがどう評されてきたのか確認したい。まずは、リメイクについて実写では、どのような議論がなされてきたのか確認してみよう。

 映画批評家の北村匡平氏は、『リメイク映画の創造力』序文で、リメイク映画の評価傾向についてこう記している。

「リメイク映画」は「オリジナル映画との比較」という宿命を背負って世界に産み落とされ、「焼き直し」や「創造力の欠如」という固定観念から高く評価されることはあまりない。(※1)

 そして、リメイク映画とは「商業的にリスクヘッジ」できるメリットがある一方で、「芸術作品としてはリスクを負って」いると北村は説明する。実写の映画ファンも批評家・評論家と同様に、そういうリメイクに対して常に厳しい視線を向けてきたと思われる。

 映像から映像への翻案であるリメイクだけでなく、文学から映像へアダプテーションされる場合へと視野を広げてみると、常にオリジナルの方が高く評価される傾向にある。文学研究者の小川公代氏は『文学とアダプテーション ヨーロッパの文化的変容』に、文学が別の表現媒体に翻案されることがどのように捉えられてきたのかについて、こう書いている。

アダプテーションがしばしば文学の劣位に置かれてきた背景には、後者が前者に「先んじていること」(anteriotiry →anteriorityの誤植?[筆者注釈])と、同じ芸術でも歴史が古い(older arts)という事実がある。芸術は時間の経過とともに「優位性」を獲得していくという先入観がどこかにあり、その点において、映画、ミュージカル、漫画などのメディアは歴史が浅い分、文学作品と比べるとその芸術的価値は低いとみなされてきたふしがある。(※2)

 この説が正しいとすれば、人間というものは歴史が古い方に重きを置く傾向があるということで、先に発表されたオリジナル作品に対して、後から制作されたリメイクが厳しい視線を向けられるのも当然と言えるかもしれない。

 一部のアニメファンがSNSで旧作との比較動画をアップして不備を指摘したりしているため、アニメファンが特段リメイクに厳しいように見えるかもしれないが、そうではない。人間の習性としてリメイクは基本的に厳しい目で見られるものなのだ。

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