『海に眠るダイヤモンド』“キラキラ”が詰まった杉咲花の美しさ 行尊の歌の巧みな引用も

 日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』(TBS系)では、謎の女性・いづみ(宮本信子)が何者なのかというミステリー要素が大きな見どころとなっている。第1話では「人生を変えたくないか?」のセリフが過去とリンクしていたことからリナ(池田エライザ)なのではないかと予想された。

 だが、第2話では「端島にはどうして家出する場所がないのかしら」と嘆いていた百合子(土屋太鳳)こそが、家出常習犯と言われるいづみの正体なのではとも思われた。そして第3話では、やっぱり朝子(杉咲花)こそがいづみの若きころの姿なのでは、とも思えてくる描写がいくつも見受けられた。

 端島で食堂の娘として育った朝子は、毎日毎日店にいて、いつも決まった顔ぶれに食事を提供する毎日を送っていた。まとまった休みなどはないから、旅行をすることもない。リナのように気ままに旅立ったことも、百合子のように島外へ進学したこともない。みんな自分を経由してどこかへと向かっていく。どこにも行くことのできない彼女は、日々多くの人に囲まれていながら、どこか孤独を感じることもあっただろう。

 本当は朝子だって、キラキラとしたものが好きだ。雑誌に目を通しては都会的なファッションに憧れを持ち、ワンピースだって着てみたいと想像する。でもわかっているのだ、そんなものを望んでも自分には決して手が届かないということを。そんなふうに自分の欲を捨てて生きていこうとする姿は、どこか修行にも近いものに感じた。

 劇中で詠み上げられた〈もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし〉とは、『小倉百人一首』の66番に選出されている歌。作者は平安時代後期の僧侶・前大僧正行尊で、山奥にこもり厳しく孤独な山岳修行していたときに、思わぬタイミングで出会った桜の花に心を打たれて詠んだものだと言われている。

 もしかしたら、朝子にとって降って湧いた端島を舞台にした映画のオーディション話は、行尊にとっての桜の花だったのかもしれない。このままずっと「食堂の朝子」として生きていくしかないと、夢を持つことさえ諦めていた人生。それを変えることができるかもしれないというチャンスは、きっと初めて自分の手で掴むことのできる“キラキラ”に見えのではないだろうか。

 だが、残念ながらそのキラキラは目の前で泡沫のごとく消えていった。映画プロデューサーを名乗っていた夏八木(渋川清彦)に島民みんなが騙されて終わったのだ。権力に負け、金に困った夏八木が端島で企てた泥棒計画。この事件では盗まれた金額よりも、映画話で盛り上がった島民のショックのほうが大きかったように思う。この話に、最もキラキラとしたものを感じていた朝子にとっては苦しい現実だったはずだ。

 そんな朝子に、鉄平(神木隆之介)は端島の隣の島・中ノ島へと連れ出す。そこに咲いていたのは、1本の桜の木。誰にも見られなくとも美しく咲いた桜を見て「夢が叶うた」という朝子のいじらしさに胸が痛かった。都会に行くことでもなく、映画スターになることでもなく、ちょっとだけ「食堂の朝子」じゃない自分=自由にお花を見る、というささいな願いこそが朝子の夢だったのだと思い出されたからだ。

 さらに鉄平は、中ノ島から見る端島が光り輝いていることを朝子に教える。「キラキラ……」と思わず呟く朝子。自分がいつもいる端島も、また端から見ればキラキラとしているということ。そんな気づきをくれた鉄平が、忘れられない人にならないわけがない。

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