『光る君へ』大石静の脚本に驚かずにはいられない“物語”の凄み 奇妙に交差する母子の運命

 NHK大河ドラマ『光る君へ』第40回において「何ゆえ女は政に関われぬのだ」と泣きながら言う中宮・彰子(三上愛)の姿は、かつてのまひろ(吉高由里子)の思いと重なるとともに、彼女の思いを拒むのが他ならぬ父・道長(柄本佑)であることに、残酷な時の流れを感じる。

 「母上と同じ道を行きたくはございません」と言う賢子(南沙良)もまた意図せずして、母の道をなぞっている。親と子の物語が偶然にも重なり合い、子がかつての自分と同じ思いを抱く様子を目の当たりにする中で、母であるまひろ、そして父である道長は何を思うのか。

 いよいよ残り2カ月を切った『光る君へ』。これまで本作が描いてきたまひろの人生の物語が、彼女の書く『源氏物語』の血肉となり息づく様、さらには読者がそこに各々の「光る君」を投影する姿に「物語」の成り立ちを思い、母と娘の物語に思いを馳せる。

 第31回で道長から一条天皇(塩野瑛久)に献上する「物語」を依頼されて以降、まひろの『源氏物語』執筆の日々は続いている。第37回において触れられたように『源氏物語』に「物語」について書かれた一節がある。

 一部を抜粋すれば「物語にこそ、より本当のことがくわしく書かれているのだろう」「(中略)後の世にも伝えたいあれこれを胸にしまっておけずに語りおいたのが、物語のはじまりだ(『源氏物語4』、角田光代訳、河出文庫)」とある。

 その言葉通り、道長からもらった扇に描かれたまひろと道長2人の出会いを髣髴とさせる絵が「若紫」の小鳥のエピソードに繋がっていたり、「藤壺が不義の子を身籠る話」に対し「わが身に起きたこと」だとまひろが道長に答えたりと、「すべて物語の種」にする作家の凄みを実感せずにはいられない。

 また、同時進行で描かれる「読者にとっての『源氏物語』」も興味深い。宮中で度々開催される読書会は見ていて羨ましいものがあるし、それはどこかドラマの感想を言い合っている私たち視聴者の姿のようで、こちらの世界と地続き感があって良い。第34回の俊賢(本田大輔)や斉信(金田哲)らの会話を通して描かれたように、人々は光君もしくは『源氏物語』の登場人物たちに、各々の大切な人の姿を投影する。

 例えば、桐壺更衣に定子(高畑充希)の面影を見たのだろう一条天皇(塩野瑛久)は、そのまままひろによる物おじせず「真っ直ぐ語り掛けてくる」物語に魅了される。第35回で彰子は若紫に自分を重ね、光君を一条天皇だと思い「光君の妻」になりたいと願った末に彼と結ばれる。一方、第40回では、彰子に想いを寄せる敦康親王(片岡千之助)が、藤壺と彰子を重ね、光君を自分と重ね、藤壺が光君を愛おしく思っていたことを切なく願っている。『源氏物語』に対するそれぞれの感想を繋げるだけでこんなにも美しい四角関係が浮き彫りになるのも見事である。それはどこか、人々が物語に心を寄せるあまり、物語が生き物のように、彼らの人生の物語に作用しているかのようだ。

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