『ACMA:GAME』間宮祥太朗の眼差しに撃ち抜かれる 田中樹&古川琴音との撮影裏も必見

 2024年4月期に放送されたドラマ『ACMA:GAME アクマゲーム』(日本テレビ系)。同作は『週刊少年マガジン』(講談社)で連載された原作メーブ、作画恵広史による漫画作品をドラマ化したもの。99本集めると、この世の全てを手にすることができるといわれる「悪魔の鍵」を奪い合う物語で、10月25日には『劇場版 ACMA:GAME アクマゲーム 最後の鍵』の公開も控えている。

 この記事では、『ACMA:GAME アクマゲーム』Blu-ray&DVD-BOXの発売を記念して、ドラマの魅力を改めて振り返っていきたいと思う。

 間宮祥太朗が本作で演じた織田照朝は、“悪魔の鍵”を賭けて争う命懸けの「アクマゲーム」に翻弄されながらも、鍵の謎に迫っていくという役柄。

 照朝は、幼い頃に母親が事故で亡くなり、日本有数の総合商社・織田グループを経営する父親と2人で生きてきたが、その父親は“悪魔の鍵”と呼ばれる古びた鍵を照朝に託した直後、目の前で謎の男に殺害されてしまった。敬愛する父の「欲望にのまれた人を救ってあげられるような大人になってくれ」という言葉を生きる指針として、父の死の真相に関わる“悪魔の鍵”の秘密を探るため、そして犯人を見つけ出して復讐するために、世界を放浪していた照朝。日本で起きた怪死事件にあの男が関わっていると知り、日本に帰国。そこで「アクマゲーム」に挑むことになる……というところから第1話は始まる。

 そんな照朝を表す言葉、それは目的を全うする強い意志、そして「正義感」だろう。

 まず、正義感が溢れているシーンといえば、第2話で総合格闘家の兵頭(栄信)と対峙する場面。ここで照朝は、自暴自棄になる兵頭に「本心では表舞台に戻ることが望みではないのか」と問う。対峙する相手の欲望を掻き立てるのではなく、欲望にのまれた人を救うためその裏にある本音を思い出させようとする姿が印象的だった。

 ここでの間宮の真っ直ぐとした眼差しが忘れられない。兵頭はそんな照朝の表情を見て「清廉潔白みたいな顔しやがって」とこぼすのだが、本当にその言葉通り。相手の心の裏側にある、見られたくない心情までを見透かしているかのような目が相手を鋭く捉えていた。

 また、「アクマゲーム」とは心を読み合うゲームであるがゆえに、照朝のシーンにはモノローグが多い。ゆえに、Blu-ray&DVD-BOXに収録されているメイキング映像を見ると、間宮がただじっと一点を見つめたり、表情を微妙に変えたりしながらも言葉を発さない場面が目立つ。

 これらが成立するのは間宮の目力があってこそ。目と表情だけで見せる細かな表現力に改めて1シーンごとに着目してほしい。

 そして中盤には、親友の初(田中樹)、そして悠季(古川琴音)が「アクマゲーム」に参戦し、照朝の心が揺さぶられるシーンがある。しかし、結局のところ照朝・初・悠季の関係性は、20歳の自分へのビデオレターを収録したあの頃から変わらない。そんなビデオレターを、先述した兵頭と戦った後に、3人で再生し鑑賞するシーンは、なんとも微笑ましい。先ほどまで、命を懸けた過酷なゲームを強いられ、鋭い目つきをしていた照朝とは打って変わって柔らかな表情を見せる。

 メイキング映像を観ると、この空気感は現場の明るい雰囲気があったがゆえに実現したものだとわかる。どの話においても、キャストたちは「アクマゲーム」特有の難しい単語や長ゼリフ、緊迫した空気感に頭を悩ませながらも、お互いを和ませあっている印象だ。体力的にも、精神的にも大変だったであろうに、要所要所で起こるスタッフ・キャストの笑い声から漂う明るい雰囲気を見て、3人の友情が自然に表現されたのではないかと感じさせられた。

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