『虎に翼』が描く安田講堂事件を解説 寅子らに問われる家庭裁判所の“存在意義”

 国側の勝訴という結果で幕を閉じた原爆裁判だが、今度は寅子(伊藤沙莉)が新たな問題と向き合うことになる。『虎に翼』(NHK総合)第24週「女三人あれば身代が潰れる?」では、香子/香淑(ハ・ヨンス)の娘・薫(池田朱那)が学生運動に参加した結果、逮捕される事件が起こる。東京家庭裁判所部の総括判事となった寅子にとっても、学生運動は見すごせない事案だ。

 現代でこそ学生運動は沈静化しているが、戦後の日本では当時の社会情勢も相まって、学生運動は活発に行われていた。1960年の日米新安全保障条約に反対する国会議員や労働者、学生などが大規模なデモを起こした安保闘争や1960年代後半から70年にかけて盛り上がりを見せた全共闘運動などがある。

 『虎に翼』第24週で描かれる「安田講堂事件」はその流れの中にある、おそらく最も印象的な学生による事件である。安田講堂事件は、簡単に言ってしまえば、東京大学の安田講堂で起きた学生紛争ということになるが、そこに至るまでの経緯はかなり複雑だ。1968年1月に起こったアメリカ海軍の原子力空母エンタープライズの寄港に対する反対運動で世界史の一翼を担った学生たちの機運は高まり、1960年代後半に激化したベトナム戦争の反戦へとつながっていく。さらには高度経済成長という好景気の中で、全国の学校ではベビーブーム世代が入学し、戦後日本の教育を支えてきた旧態依然とした大学制度へ反発する形で、東大をはじめ日本大学や法政大学など様々な大学では全共闘と呼ばれる学生団体が結成され、大学紛争が起こった。

 東大内部での動きとしては、東京医科歯科大学が「登録医制度反対」を掲げて全学無期限ストライキに入ると、東大の医学部でも「インターン闘争」にはじまる東大紛争へと発展。学生は大学側の処分に対する不服から、安田講堂を一時占拠し、翌日予定されていた卒業式も中止に追い込まれた。医学部では全学闘争委員会が安田講堂封鎖を決行し、医学部闘争の突破口を見出そうとするが、大学当局が警察に出動を要請し、機動隊が実力を行使した。これが「安田講堂第一次占拠」である。

 これに端を発し、法・理・薬学部を除く7学部が無期限ストライキを行い、東大闘争全学共闘会議が結成。1968年の7月5日の全学総決起集会には約3000人が参加する事態となった。この頃には学生主導のストライキが横行し、大学の建物のバリケード封鎖を行い、大学当局に対して権力の芽を示した。

  同年11月の大河内一男総長と全学部長の辞任を受け、法学部の加藤一郎教授が総長代行に就任し、1969年1月10日に国立秩父宮ラグビー場にて東大7学部学生集会を開催。しかし、大学を占拠する全共闘学生との和解は不可能と判断し、機動隊による大学構内のバリケード撤去を断行した。それに対して学生たちによる投石や火炎瓶で応酬し、機動隊は催涙弾などを使って応戦。2日間にわたって攻防が繰り広げられ、多くの負傷者、逮捕者を出しながらも、機動隊の強行もあり、東大紛争は沈静化した。

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