『ヒエラルキー』賛否両論の理由は詰め込みすぎ? イ・チェミンが復讐と恋に揺れる

 韓国ドラマ『ヒエラルキー』がNetflixで配信中だ。

 韓国最高レベルの教育サービスを誇るチュシン高校は、財閥や大企業の御曹司と令嬢が学ぶ場所として知られる憧れの学校。金持ちばかりが通う学校に奨学生として入学した生徒はさまざまな差別に苦しみ、高校3年間息を潜めて生活することを強いられる。そんな校風のチュシン高校に、1人の奨学生が入学したことで、それまで維持されていた「ヒエラルキー」に変化が起きる。

 チュシン高校で学園の女王として絶大な権力を持つジュユルグループの令嬢、チョン・ジェイを演じるのはノ・ジョンウィ、奨学生として入学してきたカン・ハをイ・チェミンが演じる。

 そのほか、チュシン高校の創始者を曾祖父に持つチュシングループの御曹司キム・リアンをキム・ジェウォン、ジェイの幼なじみユン・ヘラをチ・へウォン、イ・ウジンをイ・ウォンジョンがそれぞれ演じる。(以下、ネタバレあり)

復讐劇だけじゃない! ノ・ジョンウィが魅せる財閥子女の苦悩

 タイトルの「ヒエラルキー」は「階層」を意味する言葉で、通常ピラミッド型の階級組織構造を指す。本作の舞台であるチュシン高校に通うのは、その上位0.01%に君臨する金持ちの子どもたちだ。

 物語は、1人の高校生が傷だらけの顔で必死に走りながらスマホで誰かと話しているシーンからスタートする。彼の名はカン・イナンで、「この学校は生徒も先生も異常だ! 全部暴いてやる」と叫んだ直後に、何者かの車に轢かれて絶命する。

 何事もなかったかのように、新学期が始まるチュシン高校で「ノブレス・オブリージュの実践をもって幕開けとしましょう」と挨拶する校長の独特の口調に、不穏な空気しか感じない。奨学生として転入してきたカン・ハが挨拶するマイクの音を切ってまで、始業式に遅れてきたチュシングループの御曹司、キム・リアンの着席を待つ異常な空気感に、チュシン高校の闇の深さを感じる。

 そもそも「ノブレス・オブリージュ」とはどういう意味なのか。これは、フランスで生まれた考え方で、上流階級などの財力・権力・地位を持つ者はそれ相応の社会的責任と義務を負うとする道徳観だ。欧米の上流階級の人たちがボランティア活動や寄付を行うのは、こうした考え方が根底にあるからなのだろう。

 チュシン高校もこの考えに基づき、一般家庭の生徒も学べるように奨学生の制度を設けている。その制度を利用して転入してきたのが、カン・ハだ。高校とは思えない夢のようなハイレベルな教育が受けられると意気揚々と入学するものの、徹底的に上位層と差別される高校生活が待っていた。ノブレス・オブリージュを誠実に遂行しようとする人は、チュシン高校にはいないということだろう。ヘラのセリフにも出てくるが、「貧乏人を徹底的に蔑む」哲学がチュシン高校にあるからだ。

 カン・ハが金持ちたちにいじめられ、復讐していく物語に終始するのか……と思いきや、実はそれだけではない。財閥の御曹司・子女たちの異常な生活環境から、恵まれているように見える彼ら、彼女らも後継者として毒親たちに支配されている被害者なのだということが分かる。

 ジェイの父は、娘をとことん支配しようと威圧的に接しているし、リアンの母親はワーカホリックで息子を後継者としてしか見ておらず、愛情が感じられない。異常な家庭に育った2人は、幼い頃からお互いの傷をなめ合うように寄りかかって生きてきたわけだ。

 ノ・ジョンウィが演じるジェイは、全身から育ちの良さがにじみ出る美しい女性を好演しているが、ほとんど笑顔を見せない。父親から「笑顔と涙を見せるな」と教育されてきたからなのだが、能面のような表情が多いためジョンウィの魅力が半減しているのが残念だ。ただし、リアンとの回想シーンでは弾ける笑顔を見せるので、そこを存分に堪能してほしい。

 カン・ハを演じるイ・チェミンは、兄の無念を晴らすために奔走する力強い面と、いつも寂しそうで不安げなジェイを気にかける優しい面を自在に操り、魅力を発揮している。リアンを演じるキム・ジェウォンとは対立するシーンが多いが、体格の良い2人が向き合ってにらみ合うシーンは、なかなか絵になる。

 お金が山のようにあっても、幸せそうな感じが全くしないジェイとリアンは、貧しいけれど多くの人に支えられながら楽しく生きているカン・ハとは非常に対照的で、人間にとって何が本当の幸せなのかをしみじみ考えさせられる内容になっている。

 そういう意味で、これまでの「財閥・格差・いじめ」をキーワードにした学園ものとは少し違ったテイストが感じられる作品かもしれない。

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