吉高由里子×柄本佑が紡ぎ出す真っ直ぐな美しさ 『光る君へ』に詰まった“書き手”の想い

 先日、旅先で訪れた美術館で、「尾形切」という12世紀の初めの古写本の一部を見ていた。藤原公任が書いたとされるその小さな紙きれを見ながら、もしこれを大河ドラマ『光る君へ』(NHK総合)を観る前に見ていたら、何の気なしに通り過ぎていたことだろうと思った。

 今では、「伝 藤原公任筆」という文字だけで、町田啓太演じる藤原公任の姿が頭に浮かぶ。すると、不思議なことに、その遥か昔に書かれた文字に、意匠を凝らした紙に、その時代を生きていた人々の、確かな息遣いを感じ始めるのだから面白い。人々が確かにそこで生きていたこと。そこに様々な人生のドラマが存在すること。当たり前のことだが、身をもって感じずにはいられないのは、脚本家・大石静が書くドラマの面白さゆえであり、本作の登場人物である多くの「書き手」たちが作品という形で残した様々な思いの欠片が、物語の一部となっているからだろう。

 本作には多くの作家が登場する。主人公である、後に『源氏物語』『紫式部日記』を書くまひろ(吉高由里子)のみならず、『枕草子』の清少納言であるききょう(ファーストサマーウイカ)、『蜻蛉日記』の藤原道綱母である寧子(財前直見)、『小右記』の藤原実資(秋山竜次)といった、後世に残る様々な日記、エッセイ、物語の書き手たちがひしめき合い、各々の視点で宮中、もしくは都で起きた出来事を見つめている。特に、登場するたび視聴者をクスリと笑わせながら、一貫して「媚びず筋の通った」誠実さを見せる実資の様子など、観ているだけで面白い。

 何より印象的だったのは、『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母である寧子を中心とした2つのやり取りだった。1つは第14回において、兼家(段田安則)が亡くなる直前、寧子と交わした言葉であり、もう1つは第15回において、まひろと寧子が交わしたやり取りである。本作はそこに、「書く者」と「書かれる者」双方の喜びを描いた。さらには、作家たちが、日々の生活の傍ら、「書くこと」と向き合わずにはいられなかった理由をも示した。なぜなら、「日記を書くことで己の悲しみを救い」、「あの方との日々を書き記し、公にすることで妾の痛みを癒した」という寧子の「書かずにはいられない思い」の産物は、幼い頃から愛読していたまひろはじめ多くの読者の心を打つとともに、兼家にとっても「輝かしき日々」の記録となり、後世に残すという役割を担っていたからだ。

 また、寧子のエピソードは、そのまま、第16・17回における、まひろとさわ(野村麻純)の友情と「書くこと」を巡るエピソードにも繋がる。些細なことでさわと仲違いしてしまった悲しみに沈む中で、寧子が「書くことで己の悲しみを救った」という話を重ね、たまらず筆をとるまひろ。そして、まひろから届いた文を書き写すことで少しでもまひろに追いつこうとしたさわ。さらにまひろは、自分の文がさわの心を動かしたことを知り、「何を書きたいのかはわからない。けれど、筆をとらずにはいられない」という衝動に駆られる。まひろが「書きたい」という衝動が、恋愛感情によるものなどではなく、さわとの盤石だったはずの友情が揺らぐことをきっかけに連鎖的に生まれているのも興味深い。

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