劇場版『美少女戦士セーラームーンCosmos』が到達した、“暴力の連鎖”という深刻なテーマ

 劇場版『美少女戦士セーラームーンCosmos』前後編の2作が公開され、2014年からのTV、配信アニメシリーズ『美少女戦士セーラームーンCrystal』と、劇場アニメに及んだ『セーラームーン』の新たなシリーズが、ついにフィナーレを迎えることとなった。

 だがフィナーレといっても、『セーラームーン』は好きだが最近のシリーズに触れてない観客にとっては、何のことやらと思うかもしれない。そして、新シリーズ『美少女戦士セーラームーンCrystal』に馴染めなかった観客にはなおのこと興味が薄いはずである。しかし本作の内容が、原作漫画に忠実であるとともに、旧シリーズとも合流する部分があると聞けば、気になるファンも少なくないのではないか。

 ここでは、劇場版『美少女戦士セーラームーンCosmos』前後編2作について、ちょっと複雑な状況を紐解きながら、そこで何が描かれたのかを考察していきたい。

 日本で社会現象を巻き起こし、世界で次々にブームを起こした、もはや伝説の作品である『美少女戦士セーラームーン』。そう聞いて大多数の人々がイメージするのは、1990年代のTVアニメシリーズだろう。武内直子の原作漫画を基に、悪と戦う不思議なパワーを持った少女たちをポップな絵柄とコメディ満載で描き、変身・必殺技などの美麗なシーンを前面に押し出したシリーズは、少女を中心に数多くの視聴者を魅了することとなった。

 “戦う少女たち”をモチーフした作品が大ヒットしたという事実は、少なからず社会にインパクトを与えることにもなった。女性たちが、これまで男性の領域だった分野で活躍する様子を、少女の目線から描くといった趣向は、とくにこれから大人になっていく女の子たちに、自信や希望を与えることになった部分がある。

 それは製作側も意識していて、『美少女戦士セーラームーンR』のエンディングテーマ曲「乙女のポリシー」の歌詞には、明確に少女へのエンパワメントが集約されている。こういった姿勢は、『少女革命ウテナ』や『プリキュア』シリーズなどのアニメーション作品に引き継がれることになった。

 このように、もはや社会的な部分でも伝説的とまでいえる存在になった『セーラームーン』を新たに甦らせたのが、2014年からスタートした『美少女戦士セーラームーンCrystal』(以下、『Crystal』)だった。このシリーズの最も大きな特徴は、基本的に原作漫画の内容に忠実なものにするというコンセプトにある。

 じつは1990年代の旧アニメシリーズは、原作の物語に大筋で沿っていながらも、雰囲気をガラリと変え、コメディ要素を前面に押し出すものとなっていた。『Crystal』では、そのバランスをシリアスな方向に引き戻しただけでなく、絵柄も原作に近い少女漫画風のテイストに寄ったものとなったのだ。

 近年のTVアニメ業界は、原作付きの題材を手がける場合、より強い制約を受ける場合が増えているようだ。オリジナルの展開は極力抑え、原作から外れ過ぎないような仕事が求められるのである。それは最近再アニメ化された『うる星やつら』や『ダイの大冒険』などのように、過去のシリーズをリニューアルした企画でも見られる傾向だといえる。『Crystal』もまた、そういった企画のカテゴリーに入れることができる。

 差別化を達成できた一方、問題も起きている。比較的オリジナルの要素が多かった旧アニメシリーズのイメージは、原作よりもさらに広く浸透しているため、むしろ原作に近い『Crystal』の方に違和感を覚えるファンも少なくなかったのだ。さらにその1期、2期でCGを使用した変身シーンなどの見せ場に対しては、目立って反発が見られた。そんな経緯もあって、3期以降ではバンクシーン(変身場面などシリーズ中で繰り返し使う映像)が手描き作画に移行する選択がとられることとなった。

 ただ、このような流れは、懐古的なファンが的外れなわがままを言っているだけとは、いささか違うようだ。なぜなら旧シリーズがテイストを変更したり、オリジナルの要素を加えたのには明確な意図があり、その尽力によって『セーラームーン』という作品の間口が広がり、最終的な世界的大ヒットへと結びついたのも事実だからである。その意味で、『Crystal』はあえてその側面を切り離したのだといえる。

 また、90年代に隆盛し爛熟した日本のアニメーターの高度な作画技術も無視できない。たしかに『Crystal』のバンクシーンのエフェクトは美麗で精細になってはいるものの、旧シリーズと並べてしまうと、ノスタルジーを抜きにしても、旧シリーズの完成度の方に軍配が上がることは避けられないのではないか。それは、全体の作画の安定についてもいえるところではある。

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