『らんまん』を通して思う“物語”の役割 朝ドラの軌跡と重なる万太郎の植物学者への歩み

 高知で自由民権運動に触れた万太郎(神木隆之介)と綾(佐久間由衣)と竹雄(志尊淳)は、自由を希求することが当たり前のことではなく、時には政府に異を唱えることとして厳しく取り締まられるという厳しい現実を、身を以て知る。

 3人の自立への旅立ちを描いた『らんまん』(NHK総合)第5週。政治運動に熱心な逸馬(宮野真守)は警察に捕まり、暴力的な取り調べを受ける。危うく万太郎にも嫌疑がかかるところだったが、逸馬が一芝居を打ったことと、警察署長にコネのあるタキ(松坂慶子)が迎えに来たことで事なきを得た。

 綾は、そういうとき女性は大目に見られ、それも男女差別のひとつであると、だからこそ、女性のできることをやるしかないと、「民権婆さん」と呼ばれる運動に熱心な喜江(島崎和歌子)に教えられる。

 高知で巻き込まれた民権運動事件は一瞬の嵐のような出来事ながら、万太郎と綾のなかには確かな何かが芽生えていた。村に戻ると、万太郎は植物の研究に進むことを、綾は酒蔵の当主となることを高らかに宣言する。

 『らんまん』の主人公は万太郎で、彼が長男が家を継ぐというルールからの脱却を図ることが物語の中心ではあるが、同時に綾にもかなりフォーカスが当たっている。それは、この時代の自由の描こうとすれば女性の問題を無視できないからだ。

 第24話で、綾が「未来永劫『女は穢れちゅう』と言われ続けるがか」と問いかけ、それに抗うべく酒蔵を継ぐと宣言したとき、女性の使用人たちが真っ先に賛同の声をあげる。そのあと続くのは、長年、峰屋に尽くしてきた番頭・市蔵(小松利昌)。女性や使用人たちが綾の言葉に共鳴していることには自由民権運動と通じるものを感じる。

 万太郎が綾に酒蔵を継がせてくれたと言うのは、植物学をやりたい彼にとって都合のいい話でもあり、ぼんぼんが好きなことをやっているふうにも見えかねないが、綾の置かれた状況と考えは誰に咎められることはない。だからこそ彼女のエピソードには強さがある。

 誰もが自由であるべきという思いから、それぞれの自由を選び取っていく万太郎と綾と竹雄の姿は清々しい。日の差す場所、日陰の場所、山や河原など、植物がそれぞれ、その個性にふさわしい場所で咲くように、『らんまん』では正しいことは正しい場所に置かれ、調和のとれたじつに気持ちがいい物語である。が、それ以上に注目したいのは、その自由への思いが、物語の主人公一代でできることではなく、昔から誰かが立ち上がり声を出してきてことのバトンを受け取って先に向かっているのだという自覚を持って描いていることなのだ。大河ドラマのようだと言われる所以はそこにあるだろう。

 植物は自由の象徴であり、標本は継承の象徴。民権運動騒動のあと高知から村に帰る途中(令和だと5時間強の距離)、綾は「キツネノカミソリ」という彼岸花に似た花に逸馬を重ねて見る。花の色の緋色が逸馬の着物に似ていたからだ。葉っぱがカミソリのようだからそういう名前がついたことを万太郎は知るが、このとき葉っぱはなく、葉っぱのある時期の姿も採集しようと考える。カミソリのような鋭さで世相を斬り、花の色のような燃える情熱で活動を続けた逸馬の記憶は、キツネノカミソリの標本と共に、万太郎や綾の心にいつまでも残るだろう。

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