『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』が支持された理由 内包された哲学性と社会性

 日本を代表するエンターテインメント企業の一つ「任天堂」が擁する、大人気キャラクター“マリオ”。1980年代より『ドンキーコング』や『マリオブラザーズ』で登場し、世界的な超大ヒットソフト『スーパーマリオブラザーズ』や、『マリオカート』などのシリーズ作品によって、多くの地域で幅広い年齢層に愛され続けている存在だ。1990年代に一度ハリウッドで実写映画化されたが、そのときは興行的にはうまくいかなかった。

 そんな有名ゲームシリーズが、『怪盗グルー』『ミニオンズ』シリーズのアニメーションスタジオ「イルミネーション」によって、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』としてアニメ映画化。こちらは予想を超えたヒットを記録し、現在アニメーション映画史上最高のオープニング興行成績を達成している。

 ここでは、そんな本作『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』の人気や支持される理由に迫るとともに、物語や設定を通して、何が描かれていたのかを、できる限り深く考察していきたい。

 本作の内容の中心となったゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』のストーリーは、平和なキノコ王国を襲ったクッパ大王率いるカメの軍団と戦い、囚われのピーチ姫を奪還するべく、配管工の兄弟マリオとルイージが、さまざまなステージで冒険をするというもの。

 マリオが進んでいくキノコ王国は、不思議な場所だ。コインやブロックがそこら中に浮いていて、地面をスライドするキノコを入手すれば巨大化し、花を手に入れれば火炎を投げられるようになり、つかめば無敵となる輝く星が飛び跳ねていくのである。『不思議な国のアリス』のようなファンタジーといえばそれまでだが、それこそ変なキノコでも食べたかのような、サイケデリックな夢であるかのようだ。

 本作で目を見張るのは、「イルミネーション」の卓越したCG技術によって、そんなドラッギーともいえる世界が、本来の不思議さを失わぬままに実在感を持って見事に表現されているという点である。実際にわれわれが「マリオ」の各ステージや、関連作品の世界に足を踏み入れ、そこを冒険したとしたら、きっとこのような光景が広がり、本作のキャラクターたちが生き生きと行動しているのではないか……と、思わせるほどに、まさに一つのファンタジー世界が、誤魔化しなく丸ごと表現されているのだ。

 かつて、これほどまでゲーム作品に愛情を持って、ゲームらしい雰囲気を壊さないままに、高次元のビジュアルで再現し直し得た映画作品があっただろうか。シリーズをプレイしたことがある観客が歓喜するのも無理はないところだ。この達成がある時点で、本作は内容的に成功しているといって良いのではないか。

 しかし同時に本作は、映画の評価を集計したアメリカのウェブサイトにおいて、批評家の評価がそれほど芳しくなく、観客の支持の強さと大きく乖離しているという話題が取り沙汰され、SNSなどで大きな反響を生んでいる。記事執筆時点で観客の支持が9割以上、批評家の支持は約6割と、じつはそこまで騒がれるような差はないと思われるが、違いが出ているのは確かである。

 批評家のなかの反対派の意見をざっと見ていくと、第一にストーリーが平板である点、第二にゲームのファンサービスに注力し過ぎで、映画版独自の魅力に欠けているという点などが指摘されている。確かに、ストーリーそのものは、穏当でひねりも少なく、良く言えば王道、悪く言えば大味だといえるし、小ネタを散りばめてゲームファンを喜ばせることに終始したことで、見方によっては任天堂のプロモーションムービーのような印象を受けてしまうことも、まあ事実ではあるだろう。

 つまり、そこには価値観やニーズの違いがあるだけで、ゲームファンを中心とした、マリオファンの夢を叶える試みに対しての好評価も、独立した映画作品として物足りないと感じる批判的な批評家の意見も、今回に関しては、とくに不適当な受け取り方をしているわけではないということになるのではないか。

 そして、少なくともアメリカの批評家のなかでも、本作を評価している側の方が多数派であるということも留意するべきだろう。必要以上に大きな対立が起きていると強調しようとする向きがあるというのは、分断を大げさに煽って注目を集めることを目的としていると考えられるので、そこは冷静に見る必要がある。

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