川口春奈×目黒蓮『silent』がドラマファン以外からも熱烈な人気を集める理由

 切なくも温かい三角関係が観る人の心を打つ、木曜劇場『silent』(フジテレビ系)。本作が多くのファンの心を惹きつけ、聖地巡礼をはじめ、いまや社会現象を巻き起こしていることは言うまでもない。

 そして何より、この『silent』のヒットについて興味深いのは、普段「ドラマを観ていない層」からも好評という点だ。「普段はドラマを観ないけれど、『silent』だけは観ている」という声もよく耳にする。

 実は、かくいう筆者も普段はドラマよりも映画を観る機会の方が多く、ドラマに関しては圧倒的初心者である。それでも『silent』に関しては、毎週木曜日をきっちりと楽しみにしてリアルタイムでテレビの前に座っているし、人とつい語りたくなる要素があることを痛感しているところだ。『silent』が新たな視聴者層を獲得しながら、日本中から熱狂的な理由を集めているのはなぜなのか。

「手話」を通じて言語を共有する

 ドラマをあまり観ない人の理由として、「ドラマ作品の完結までが長いこと」と「(リアルタイムの場合)決まった時間に毎週観ること」のハードルの高さがよく挙げられる。

 しかし『silent』の場合は、生活の一部として毎週話数を積み重ねていく形式が、「手話」というテーマとの相性が良いと感じた。紬(川口春奈)がコツコツと勉強を重ねて手話が上達していくのと同様に、紬がよく使う「大丈夫」や、第8話で印象的だった「ずっと」など、繰り返し作中で使われる手話を、視聴者もなんとなく一緒に覚えていく。毎週少しずつゆっくりと時間をかけて作品を観ていく中で、想(目黒蓮)と紬の間で醸成されていく言語を私たちも共有しているのである。

 そして、『silent』は登場人物の心情描写が丁寧だ。だからこそ、毎週ゆっくり培われていく恋の感じが『silent』らしさにもつながり、話数を重ねてても間延びした印象を受けにくい。毎週紬と想の絶妙な距離感に「早くくっつきなよ!」とツッコミを入れながら目が離せなくなっている筆者だが、相手を本当に想っているからこそ踏み込めない、そんな見えない一線を跨いだ曖昧なやり取りもまだまだ観ていたいと思ってしまう。

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 特に想の使う言語は手話だけでなく、ゆっくりと動く視線、柔らかな表情、言葉と言葉の間……といった、雰囲気やボディランゲージに近い要素も含まれている。声を封じた状態でも想の強い想いが伝わってくるのは目黒の高い演技力あっての描写だが、そこに相乗効果を生む形で“ドラマ放送”という形式の尺の長さが、甘く贅沢な「一歩手前」の状態をより魅力的に描くことを可能にしているのではないか。

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