50年代のディオールを堪能 『ミセス・ハリス、パリへ行く』が伝える夢見ることの大切さ

「ロンドンから、家政婦さんがドレスを買いにきたわよ!」

 世界的ファッションブランド「ディオール」のメゾンにて、お針子たち、フィッティングモデルたちが歓声をあげる『ミセス・ハリス、パリへ行く』の名シーン。ある一着の服に魅せられ、何が何でもこれを手に入れるのだと地道な努力をした経験のある者なら、涙なしに観ることはできないだろう。

 主人公のミセス・ハリスは、明るく親切でとてもチャーミング。夫を戦争で亡くし、ロンドンで家政婦として働いていた。ある日、雇われ先の婦人が買ったというクリスチャン ディオールのドレスを見たハリスは、あまりの美しさに心を鷲掴みにされてしまう。その金額はなんと500ポンド(現在の日本円にしておよそ250万〜400万円)! 何としてでも、ディオールのドレスをパリまで買いに行くのだと決意したハリスは、地道な労働と倹約を積み重ね、博打にも果敢に乗り出し、懸命に資金を調達してパリへと旅立つ。

 ディオールを舞台にした近年の映画作品としては、フレデリック・チェン監督『ディオールと私』(2014年)、シルヴィー・オハヨン監督『オートクチュール』(2021年)などが挙げられる。マイケル・ウォルドマン監督『クリスチャン・ディオール 華麗なるモードの帝国』(2017年)も、ディオール創立70周年を記念して制作されたTVドキュメンタリーだ。『ミセス・ハリス、パリへ行く』がこれらの作品と異なっているのは、創業者のクリスチャン・ディオールが存命していた“1950年代”に焦点を当てているという点と、“おとぎ話”としての完成度が飛び抜けている点ではないだろうか。

 1947年の「バー」ジャケット発表をきっかけに、ベル型ロングスカートと細いウエストラインが特徴の「ニュールック」と呼ばれるスタイルが脚光を浴び、ディオールはオートクチュールの歴史上、最も重要なブランドの一つとなった。そのわずか10年後、1957年にディオール氏がこの世を去ってしまうまでの、華々しさの絶頂にありながらも新たな変革を求められつつあった時期のディオールこそが、この映画の舞台である。実は20世紀半ばのディオールに焦点を当てた長編作品は、これが初めてなのだそうだ。

 本作に登場するメゾンやアトリエの空間、そして数々のドレスを作り上げるためには、多くのプロの協力が必要となっただろう。こんなにも長い歴史と権威のあるブランドの気高さは、“本物”がもつ力を積み重ねないことには成立しないはずだからだ。クリスチャン ディオール クチュールのコミュニケーション最高責任者オリヴィエ・ビアロボスを中心とするディオール社の協力と、アカデミー賞衣裳デザイン賞に3度(『眺めのいい部屋』『マッドマックス 怒りのデス・ロード』『クルエラ』)輝いた経歴のある衣装デザイナーのジェニー・ビーヴァンの存在は特筆すべきであろう。

 ディオールは、モンテーニュ通り30番地に今もあるメゾンの設計図やアーカイブコレクションを貸し出し、それ以外の衣装はビーヴァンら衣装チームが再現しているとのことだ。また、今回オリジナルでデザインされたドレスが2着だけあり、それが「テンプテーション(誘惑)」と「ヴィーナス」である。物語の中で重要な鍵となるこの2着は、それぞれ妖艶な赤色と鮮やかな緑色のドレスであり、ディオール氏がデザインした実在のドレス「ディオール ディアブロティーヌ」と「ミス ディオール」にインスパイアされたという。

 どちらのドレスも、ファッションショーのシーンで初めてスクリーンに現れて以降、それぞれの道のりをたどっていくことになるが、家政婦のハリスがパリのメゾンでドレスを選ぶという一世一代の大チャンスに匹敵する華やかさと、ドレスに彩られる重要なシーンのために丁寧に計算されたのだとわかる必然性を有したデザインなので、ぜひ注目したいところだ。

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