『ラック~幸運をさがす旅~』はピクサー的な作品に 宮﨑駿作品などにも通じる高揚感
ただの言葉が、ここまで心を動かしてしまう。このような体験を、われわれはすでに味わったことがあるはずだ。それは、宮﨑駿監督作品である。とくに『ハウルの動く城』(2004年)、『崖の上のポニョ』(2008年)では、ある言葉が魔法や呪術のように作用し、人の一生を変えてしまうほどの“瞬間”が描かれた。なぜ、言葉がそれほどの力を持ち得るのかというと、その言葉には、発する者の今後の人生を全て捧げる覚悟があるからなのではないか。そして、真摯に生きる者にとって、それは一生に何度も使えるわけではない。
宮﨑駿監督が愛し続けている作品に、ロシアのアニメーション映画『雪の女王』(1957年)がある。描かれるのは、“雪の女王”に連れ去られた少年を取り返すために、極寒の城まで旅を続ける少女ゲルダの物語である。可憐なゲルダはいつでも礼儀を忘れずに、様々な人々に「スパスィーバ(ありがとう)」と、感謝の言葉を贈りながら旅を続けていく。しかし、ついに少年を取り戻そうとするとき、雪の女王には強い言葉を投げかける。その気迫はまさに全身全霊である。このような、一瞬の激情、もっといえば狂気のような感情が放つ言葉が、魔法のように作用することとなるのだ。
われわれ観客は、この人生のなかで一度だけ輝く光や、燃え上がる炎のような激しさの瞬間に、心を大きく動かされてしまう。宮﨑駿監督の映画に深い感動があるのは、まさにこの激情の一瞬を切り取っているからだ。周知の通りジョン・ラセターは、そんな宮﨑作品を愛し、アメリカ公開版の製作や演出を数多く手がけている。だから本作『ラック〜幸運を探す旅〜』の高揚感には、ラセターの影や宮﨑作品の影、そして『雪の女王』のような過去の名作の存在を意識せざるを得ないのだ。
また、そこから分かる、本作における家族観も共感できる。家族やパートナーとは、血の繋がりや法的な繋がり以上に、相手を幸せにしたいと願う互いの精神性が重要ということである。そして、その相手は人間である必要ですらない。本作は、こういった構図を見せることで、誰かと親密な関係を育みたいと思っても、なかなか恵まれない多くの人に寄り添う作品なのである。
そして、本作は“運”の考え方にも指針を与えてくれる。人生にとって、幸運、不運はたしかに大きなウェイトを占める。不幸に見舞われたり、自分の思い通りの展開が訪れなかったことで悲しんだり苦しむことが必ずあるはずだ。だからそういう人がいれば、すすんで助けようというメッセージが発せられているのだ。
不運に見舞われても、そのことに同じように悲しんでくれたり、寄り添ってくれる人がいれば、辛い出来事もただ悪いことだけではないと思えるのではないか。もちろん、その善意が自分にも返ってくる保証はないが、誰かがそのような行動をすることで、確実に救われる人は増えていき、不運は部分的にカバーできるといえる。そして本作で描かれたように誰かを救うことで、その人が存在する意義も生まれるのである。
このような小市民的な内容を描くというのは、ラセターが初期から主導してきたピクサーのテーマでもある。その意味において、きわめて小市民の幸せな道を描いた本作は、非常にピクサー的な作品になっているともいえよう。
このような一種の人生哲学を描いた本作の力は、もちろんジョン・ラセター以外のスタッフからも生まれているはずだ。大事なのは、製作費やスタジオの技術などからは生まれ得ない魅力を、本作が持っているという事実である。そして、これは日本のアニメーションスタジオも参考にできる部分のはずなのである。
現在、一線級の作品としては、まだアニメーション表現について難のあるスカイダンス・アニメーションだが、今後、多くのプロジェクトが進行していることが発表されていて、そのなかにはブラッド・バード監督作もあるという。このような作品の製作によって、スカイダンス・アニメーションは一線に並ぶ存在になる可能性は低くないはずだ。
アニメーション作品で優れた精神性が描かれているからこそ、よけいにジョン・ラセターのセクハラ行為は許せないと考える観客もいるだろうし、その態度は何も間違っていない。むしろそれは正当な意見といえるだろう。ただ、本作『ラック~幸運をさがす旅~』には、世の多くのアニメーション作品のなかで傑出した部分を持つ一作だということも確かであり、ここからアニメ業界が良い部分を吸収することもできるはずなのである。
■配信情報
『ラック~幸運をさがす旅~』
Apple TV+にて配信中
©︎Apple TV+