『ちむどんどん』を考える3つのポイント 朝ドラ=15分も長すぎる時代に?

 東京編がはじまった“朝ドラ”ことNHK連続テレビ小説『ちむどんどん』。第6週「はじまりのゴーヤーチャンプルー」では、比嘉暢子(黒島結菜)が上京し銀座のイタリアンレストラン、アッラ・フォンターナで働き始める。

 “ちむどんどん”する新たな門出……と思いきや、いきなり問題続出。頼りにしていた兄・賢秀(竜星涼)はすでにボクシングジムから姿を消していた。しかもまた借金をして……。「まさかやー」に次ぐ「まさかやー」である。その苦味はまるでゴーヤーチャンプルのゴーヤーの味に似ているように感じる。

 アッラ・フォンターナには原田美枝子や高嶋政伸、暢子が下宿する鶴見には片岡鶴太郎と演技巧者の俳優が深みや重みや苦味を加える。彼らについては今後のお楽しみとして、別に第6週のポイントとしてチェックしたいことは3点ある。ひとつは比嘉家につきまとう借金問題。ひとつは暢子が暮らす場所・鶴見。最後のひとつは15分の中に内容が盛りだくさんであること。ここではこの3つについて考えてみたい。

 まず、借金問題。SNSではかなりこれが話題になっている。父・賢三(大森南朋)が借金を残したまま亡くなって以降、貧しい生活を余儀なくされている比嘉家。慎ましく生活しているが、なぜか借金が増えていく一方だ。この原因は主としてニーニーこと賢秀のやらかしによるものである。

 賢秀は明らかに迂闊な行為ばかり繰り返しているが、家族は共同責任というような認識なのか、お約束的に怒りつつも完全に彼を見放すことはない。むしろ一緒に返そうとするどころか肩代わりまでする。第6週では賢秀がボクシングジムにした借金を代わって返そうと、優子(仲間由紀恵)は親戚の賢吉(石丸謙二郎)に保証人になってほしいと頼む。積もり積もった借金に耐えかねた賢吉は良子(川口春奈)にお金持ちの家に嫁げと言い渡す。

 賢秀は鶴見にふらっと現れ暢子と再会するも、彼女のお金をまたギャンブルですってしまう。「まさかやー」である。

 賢秀が第5週で詐欺に遭った金額は960ドルで、1972年頃だと1ドル300円くらいなので30万円くらいのようだ。72年、日本の総理大臣の給料は90万円と『戦後値段史年表』(朝日文庫)にはある。とすると30万円はそれなりであろう。だが、比嘉家のムードは毎月のちょっとした赤字を補填してもらってなんとかやりくりしています程度の印象がある。立派な家もあるしなあ……などと思ってしまい、どういう気持ちで鑑賞していいのか前提がよくわからない。ことの大小の基準が示されないので大事(おおごと)と思っていいのかそうでもないのか迷うのである。

 この点、通常だと悲惨な目に遭う登場人物の哀しみに寄り添って応援したいところであるが、作り手はそれが当事者ではない者の勝手な同情のまなざしになることを避けようとしているようにも感じる。

 おりしも現実世界では、役所の誤送金によって4630万円もの大金を一般市民が手に入れ返却せず使ってしまい大問題になった。このようにありえないことが現実にあるのだから比嘉家のお金に対する振る舞いもありえなくはないのだろう。現実と比べたらむしろささやかなものと言えなくもない。逆に、現実と同じくらいとんでもない出来事をドラマでこそ描いてほしいとも思うのだ。

 次に、横浜・鶴見。沖縄から本土に働きに来た人たちが助け合って生きる場所・リトル沖縄がそこにある。それがこれまで朝ドラで沖縄を描いた『ちゅらさん』や『純と愛』にはない視点といえるだろう。前2作は現代ものだが、『ちむどんどん』は70年代が舞台。今年が沖縄本土返還50年という節目ということもあって、その時代が選ばれたのであろう(ちなみに『ちゅらさん』のヒロインは沖縄が本土復帰した1972年生まれ)。本土と沖縄の関わりにデリケートな緊張感のあった時代である。そこをテーマにはしているわけではなく、あくまでも背景であって、深くは触れないようだが、完全にスルーしたら70年代を描く意味もない。

 その頃、鶴見で生活する人たちを描くことで、同じ日本人ながら、沖縄から来た人たちが共同体のようなものを作り、助け合いながら生きていた現実を描くことは意義あることだと思う。

 脚本の羽原大介は朝ドラ『マッサン』で日本に来た外国人が異国の文化を学びながら馴染んでいく姿を感動的な物語に仕立てた経験があるから、『ちむどんどん』でもまた、同じ国のなかの異文化についてどう描いていくか興味深い。

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