『ダイの大冒険』ヒュンケルは令和の世でもカッコいい ダークヒーローなのに備えた社会性
君は人生のグランドクルスを打てるか? というわけで『ダイの大冒険』のヒュンケルの話である。いきなりの暴論で恐縮だが、ヒュンケルは昭和・平成、そして令和の世における「カッコいい」の集大成だ。そして恐らく、もう一度くらい元号が変わってもヒュンケルはカッコいいままだろう(逆にヒュンケルが明治時代で通用するかは分かりません)。今回はヒュンケルというジャンプ史上に残る魅力的なキャラについて考えていきたい。
まずはヒュンケルが体現する昭和の美学である。昭和のカッコよさとは、私が思うに「やせ我慢」と「泥臭さ」、この二つだ。さだまさしの「償い」や梶原一騎先生の劇画の世界である。ヒュンケルは育ての父を悲惨な形で失って悪の道へ走るが、色々あって主人公であるダイの仲間として死闘に身を投じるというキャラクターだが、劇中で度々強調されるのが、彼の献身っぷりだ。「悪役として登場したキャラが正義の側に回る」これ自体はアメリカンプロレスから『週刊少年ジャンプ』まで、よくあることだろう。こうしたキャラは「正義の味方」になった時点で過去の悪行をチャラにしがちだが、ヒュンケルは、ひたすら悪かった時代のことを擦り続ける。劇中で「罪滅ぼしの為に戦っている」といった旨の発言を繰り返し、命がけの必殺技であるグランドクルスを乱発。全身の骨に微細なヒビが入るまで肉体を酷使しながら、ひたすら戦い続ける。その姿はさながら昭和を代表する傑作劇画『あしたのジョー』の矢吹丈。あの名シーンにオマージュを捧げる形で、その戦いの人生にピリオドを打つのは必然だったとも言えるだろう。
このように昭和の「やせ我慢」「泥臭さ」を背負いつつ、一方でヒュンケルは平成的なカッコよさも持っている。平成的なカッコよさとは、私が思うに「ダークヒーロー」感だ。世間的にはNGな行為、主人公がやるにはダーティーすぎる行動。それらをサラっとやってのけるのがダークヒーローである。『ダイの大冒険』と同時期に連載されていた『幽☆遊☆白書』の飛影、あるいは『ドラゴンボール』のベジータなどがイイ例だろう。彼らは「正義」の側にいながら、悪党、とりわけザコを必要以上に圧倒し、必要以上にカッコよく惨殺してしまう。ヒュンケルもこうしたダークな一面を持っており、悪党をバシバシ倒して、暴言も放ちまくっている(特に超魔生物になる前のハドラーに対しては酷いものがある。ストレートにバカと言ってたし。父の仇ですけど、一応は上司ですよ)。このへんのダークヒーローっぽさが非常に平成っぽい。
こうした昭和・平成のカッコよさを背負いながら、しかし不思議なことに、ヒュンケルのカッコよさは令和の現在でも通じる。それはヒュンケルが現代の世、つまり令和でも通用するカッコよさを持っているからだ。では令和にも通用するカッコよさとは何か? それは優しいことである。